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2007年06月21日

国産旅客機にまつわるエトセトラ

まずは最近の m062 ニュースから。


国産初ジェット旅客機パリ航空ショー出品へ…三菱重工

TKY200706170080.jpg


 三菱重工業は11日、商業化を目指す国産初のジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)の模型などを、18~24日にパリで開かれるパリ国際航空ショーに出品し、航空会社への本格的な売り込みを始めると発表した。

 その反応も見ながら、07年度末までに事業化するかどうかを判断する。

 MRJは最新エンジンの搭載や空力性能の向上で、他メーカーの既存機種より燃費を20%向上させるほか、新開発の薄型シートを使って座席の前後幅を広げ、ゆったり座れるようにするという。

 一方、エンジンなど主要部品の調達先は9月までに決める方針だ。エンジンは現在、米GE、米プラット・アンド・ホイットニー、英ロールス・ロイスの3社が候補となっており、今後、1社に絞る。GEは既存エンジンの改良型、ロールス・ロイスとプラットは新開発エンジンを提案している。

(2007年6月12日 読売新聞 http://www.yomiuri.co.jp/tabi/news/20070612tb01.htm

これによると、国産のジェット旅客機の製造m034 m034 だという。
自動車産業 m015 や家電産業 m045 では世界に誇る日本において、旅客機 m237 はほとんど外国産であったことに驚いた。(国産はYS-11という一機種のみらしい)

日本はなぜ旅客機をつくらないのだろうか??

その理由を探ってみると・・・


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そもそも戦前の日本は航空機大国でした。
それなのに・・・

≪年表事実≫
 1945年  太平洋戦争敗北後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって
        航空機の製造を全面禁止
される
 1952年  サンフランシスコ講和条約を機に航空機の製造禁止令を一部解除
 1956年  航空機の製造禁止令全面解除
 1957年  通産省と航空工業会の臨時役員会により、輸送機の基本構想をするための
        財団法人輸送機設計研究協会(輸研)を設立
 1959年  特殊法人日本航空機製造株式会社(日航製/最大株主は日本政府)が
        創設され、輸研は解散される
 1961年  YS-11(戦後初の国産ターボプロップ双発旅客機)の誕生
 1971年  経営悪化により国会で政府(佐藤栄作内閣)はYS-11生産中止と日航製の解散を決定
 1973年  YS-11の生産終了
 1982年  日本航空機製造株式会社は業務を全て三菱重工に引き継いで解散
 2006年  機体への衝突防止装置設置を義務づけた航空法改正により、改修経費の関係で
        YS-11は日本国内の民間定期路線より引退
 2007年  国産初のジェット旅客機の発表

(参考:ウィキペディア YS-11 日本航空機製造


この年表から、航空機をつくりたくてもつくれない時期があったこと、
国産のYS-11は経営が悪化 m252 してつくれなくなったことが分かります。


また、『日本はなぜ旅客機をつくれないのか』(前間 孝則著 草思社出版)では、日本が旅客機をつくれない理由を以下のようにまとめています。

・レシプロエンジンからジェットエンジンへの切り替え時期にアメリカ占領により航空研究を禁止されて決定的に技術で後れをとったこと

・航空機産業を長期的視点から育成する政治方針がなかったこと

通産省と運輸省が激しく利権を争って効果的な施策を打ち出せなかったこと

・軍用機製造に慣れたメーカーがまったく分野の異なる民間機の製造販売についに適応できなかったこと


さらにYS-11についてこんな声も・・・

総勢182機が生産されたが、販売網がうまく構築できないままで、予想より売上が伸びず、また第二次世界大戦後の日本では初めて作った機体のために実績がないため、足元を見られて値下げを続け、原価を割った価格で販売することもめずらしくなかった。また、宣伝費などの販売、営業関連費を初期コストの中に換算していなかったなど、原価管理も杜撰であったと言われている。

赤字は積み重なり、国会においてこのことを追及されると、1971年(昭和46年)12月28日の国会で政府(佐藤栄作内閣)はYS-11生産中止と日航製の解散を決定、1972年(昭和47年)末に販売を終了した。この時点でYSの民需は145機、競合機ホーカーシドレーは118機で、YS-11はフレンドシップに次ぐ売り上げであった。YSは昭和47年度末(1973年3月)を以って生産終了となったが、欧米の競合機は生産が続いた。技術を伝える後継機計画が進まないまま、1982年(昭和57年)9月に日本航空機製造は解散した。その後のアフターサービスは三菱重工業が請け負っている。現在でもこの決定は批判が多く、日本から新たな国産飛行機が生まれない一番の要因であると言われている。
(参考:ウィキペディア YS-11

禁止令による技術の遅れ m097 利権争い m008 無策の政策 m081 販売網の不備 m011 営業赤字 m252 ・・・
航空機の開発には何百億もの費用がかかります。航空機産業を繁栄させることは並大抵のことではないでしょう。でもだからこそ、航空機産業の成功は確実に国力を高めると言われています。


これらの過去を経て、YS-11以来約40年ぶりに国産の航空機製造へ動き出した日本
航空機産業は復活 tikara するのでしょうか?今後が期待されます m024

コメント

40年振りの日本国産旅客機ですか?

YS-11の生産終了後、1986年頃から、次の開発計画(通称YSX)があった。しかし、紆余曲折の末、結局、試作機まで行き着いていないようですね。

ウイキペディア・YSX
http://ja.wikipedia.org/wiki/YSX

そして、今回の三菱重工のMRJは、通産省が「環境適応型高性能小型航空機」を打ち出し、重工が主契約者としてなった動きですね。

ウイキペディア・環境適応型高性能小型航空機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%92%B0%E5%A2%83%E9%81%A9%E5%BF%9C%E5%9E%8B%E9%AB%98%E6%80%A7%E8%83%BD%E5%B0%8F%E5%9E%8B%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F

MRJで気になる所は、ファンジェットエンジンは、どのメーカーのエンジンを使うのかです。

IHI(石川島播磨重工)が、通産プロジェクトでは、エンジン開発を分担しているが。純国産ジェットエンジンはなく、ロールスロイスかGEをベースにする動きです。

航空機産業は、合従連衡が激しい産業。指導権は、欧米企業にガッチリ握られている。

  • Leonrosa 2007年06月22日 22:15

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