るいネット
掲示板
RANKING
ninkiburogu.gif にほんブログ村 経済ブログへ kutsurogu.gif
NEW ENTRIES
LINKS
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK

2008年07月07日

明治政府の捏造~日本に文明開化をもたらしたのは誰か?~

日本金融史1 ~近代化の始まりは明治維新ではない!~  
で↓の文章を掲載しました。

こうして見ただけで、維新後に日本をリードした近代的産業の母体を、徳川幕府に仕えていた頭のいい人間たちが生み出した姿が浮かびあがってくる。維新政府は、その幕府の要人をこの世から抹殺して物言えなくしてしまい、旧幕府をさんざんにののしり冒瀆しながら、実はあとから出てきて、幕府が磨いた知恵と遺産を横取りし、それをすっかり利用し、あたかも文明開化が自分たちの功績であるかのように喧伝してきたにすぎないのではないかという疑念が湧いてくる。
(広瀬隆著「持丸長者」より抜粋)


同じ広瀬隆著「持丸長者」に、日本に外国の知識を伝えるのに大きな役割を果たした人たちが時代順に書かれてあったので要約してみました。



「大日本持丸長者鑑」(早稲田大学図書館蔵)

続きはポチッのあとで↓↓↓

ブログランキング・人気ブログランキングへ   にほんブログ村 経済ブログへ   

近代化を導いた知識伝播の順序

1.開府以来、平戸・長崎で外国人と接してきた通詞、長崎奉行、長崎町年寄及び周辺諸藩で先見的な目を持つ若者。(1824シーボルト鳴滝塾→伊藤圭介、二宮敬作、港長安、高野長英ほかの教え子たち。1841洋式調練を実演した高嶋秋帆←長崎町年寄)

2.長崎の出島に出入を許された「丸山遊里の女たち」→民衆に知識普及。

3.北前船貿易商と密貿易商人(豪商→1811高田屋嘉兵衛、密貿易人→銭屋五兵衛、河南源兵衛、浜崎太平次) → 商人世界に西欧文明と商業の利権を伝えた。

4.漂流民(1792大黒屋光太夫、1851ジョン万次郎)←長期外国滞在者。最も確かな知識を伝えた。

5.1842アヘン戦争を知って自発的に近代技術、西洋医療の積極的導入に踏み切った開明派の藩主たち。(蘭癖大名⇒薩摩:島津斉彬、佐倉:堀田正睦)

6.1853米のペリー、露のプチャーチン来航以来、外国折衝にあたった浦賀奉行所与力同心、外国応接掛、幕臣、通詞たち。

7.1855ディアナ号沈没後代替艦船建造に参加した職人が洋式帆船の製造技術を体得。(上田寅吉、鈴木七助)→のちに長崎海軍伝習所で指導。

8.1855長崎海軍伝習所で学んだ伝習生(佐賀藩の中牟田倉之助、田中久重、薩摩の五代友厚ほか幕臣たち)

9.1859開港後の長崎、横浜、箱館で外国商と輸出入の取引に応じた商人たち。→生糸輸出を柱に最先端の技術、商業文明、近代建築などの欧米文化を取り入れる日本最大の窓口に

10.幕府が送り出した使節団
    1860日米修好通商条約→人見正興、小栗忠順、咸臨丸乗組員
    1862開港開市延期交渉使節
    1864横浜鎖港談判使節
    1865軍事視察
    1867軍艦買い付け、パリ万博出展

11.1862幕府最初の海外留学生⇒海軍伝習生ほか優秀な幕臣、医師、職人たちをオランダに送った。以後、露、英、蘭、仏と続き合計5回に及ぶ。

12.1863長州藩の密航イギリス留学生(井上馨、伊藤博文、他3人)

13.1865薩摩藩によるイギリス留学生(五代友厚、寺島宗則が主導)

 (以上 広瀬隆著「持丸長者」~近代化を導いた知識伝播の順序~を要約)

   
日本の近代化は明治政府の要人たちの手によって推し進められたと思っている日本人が多いですが、実際はそうではありません。
彼らよりも早く外国と接点を持った幕臣や通詞こそ先駆者であり、外国の文明、知識を日本に取り入れる最大の窓口となったのは密貿易を含む商人たちであり、また遊女や漂流民により諸外国の真の姿が民衆に伝えられたのです。

維新後、明治政府は咸臨丸乗組員、薩長の留学生をフロンティアとして後世に伝えていますが、咸臨丸は使節団に随行しただけで滞在期間も短く収穫はほとんどありませんでした。留学生も幕府が送った人材、規模には到底及びません。実際、明治以降の発展の主力となったのは榎本釜次郎、西周、林研海ら幕府の留学生たちです。

つまり、
明治以降日本人に教育されたのは、前の時代を全否定せんがために事実を隠蔽し、捏造された歴史なのです。

    

コメント

日本が第二次大戦後、経済発展し、世界第二位の経済大国になったのは金融のおかげだという説があります。

戦後は「たいした発明」もなかったのだから、経済大国になれたのは金融のおかげだという説です。

金融・資本注入だけで経済大国ができあがるなら、世界中が経済大国です。北朝鮮・フィリピン・ミャンマー・バングラデッシュもすぐに経済大国になれるはずです。

そもそも、技術・ビジネスの世界では「素人にも分かるビッグな発明」だけが意味をもつのではありません。「たいした発明」ではないが、差別化・効率化・使いやすさ・費用効果などさまざまなメリットで製品の市場競争・輸出競争を勝ち抜くことができます。

ソニーのトランジスタ・ラジオやホンダのオートバイもこの延長で成功した製品です。

第二次大戦で敗戦しても、日本の産業社会にはまずベースとして、戦前からのそのようなノウハウ・伝統・技術の蓄積があった。戦前にはアジアで唯一国の軍事大国・経済大国であったのですから当然です。

戦後は一見廃墟になったようでも、そのような知識は産業界や技術者によって受け継がれており、そこに必要な国際金融の注入が行われたのだから、国際市場で通用する日本の製品が再び日本を大国化に導いたのは当然です。

そもそも第二次大戦後も、日本と競争できるだけの産業的基盤・歴史をもった国はアジアにはなかったのですから再び日本が輸出大国になれるのは時間の問題でした。

中国も朝鮮半島も大日本帝国によって産業近代化の指導を受けたくらいですから、相対的にも日本と競争できる国はアジアにはなかったのです。そして、日本の産業人の努力の結晶がやがてアメリカ製品に肩を並べ、国際的に認められていったのです。

それでは、戦前、大日本帝国がアジア唯一の近代工業国として成功した理由は何か?それは、江戸時代の教育水準の高さにあります。とくに、武士階級だけでなく、商人・農民の識字率・文化の高さも重要ですが、武士階級というのは世界的にも高い水準の知識層であったというのがポイントです。

******* 以下引用 ******
もう1つ忘れてはならないのが江戸時代の教育だ。

驚くべきは世界最高の識字率である。

当時世界最高水準であったはずのロンドンやパリに比しても倍の高さがあった。
人口の7%を占めた武士階級の識字率は9割を超えていた。

1人の町人を見てみよう。
町人であった伊能忠敬(1745~1818)が五十歳で隠居になって趣味でやっていた天文学を学ぶ為に江戸へ行き、それを極めて伊能図を18年掛けて作り上げたのは有名である。
驚くべきは伊能図を江戸末期に作られて科学技術進歩著しい時代を1世紀近く経て2次大戦で日米両国が使っていたという精度を持っていた。
彼は特別に異才の持ち主ではない。
商家へ養子に入り、家業に精を出す普通の商人であった。
普通の日本人が世界水準では飛び抜けていた証左に他ならない。

もっと驚く事がある。
日本の師とも言うべき中国の国語辞典で3千語の内、千語近くが和製熟語という事実がある。
江戸末期に西洋から様々な横文字が入ってきたのを、現在ではカタカナで平気に使っている所を態々和製熟語に翻訳したのだ。
それが中国で使われているという訳だ。
無論、横文字は当時の中国人によって訳されてはいたのだが、現在のIT用語のようなもので一般庶民には馴染めなかったらしい。
それが和製熟語の方が理解し易かったようだ。
日本も文明開化で西洋文明に適合できたのはその和製熟語のお陰のようだ。
江戸250年の鎖国をして平和な時代は日本人に漢字の理解度が本家の中国人よりも熟練していたようだ。

現在でも分る地図や中国の国語辞典を見て類推される文化水準から識字率が社会的インフラとして成熟していたようだ。

この文化水準を支えた教育制度として武士の為には昌平坂学問所を頂点とする各藩の藩校があった。
又、適塾のような私塾もあったようだ。
庶民の為には読み書き算盤を教える寺子屋は全国で幕末には4万軒を数えている。
そこで1万年に及ぶカルチャーの連鎖の成果も一般庶民までよく知られていたに違いない。

明治以降、この壱世紀余りの間に日本の文化水準は下がったのではなかろうか。
現在ではITを理解する人はほんの一握りに過ぎない。
明治に革命が起きて、日本が良くなったという考えは捨てねばならない。

教育改革を考えるに当って考えねばならない事の眼目が此処にあるように考えるが如何。
知識を詰込む前に為さねばならない事があるという訳だ。

それは雅に教育基本法第1章第1条に書かれてある「人格の形成」を見詰直す事に他ならない。
その実質を整備してこそ教育が充実し、世界を牽引する日本人たれるものと考える。
それをこれから論じる。

http://adachi51.at.webry.info/200706/article_2.html

****** 引用END *******


特に「商人・農民等」の知識が高ければ高いほど、武士階級には、指導階級として認められるために、それを上回る教養や精神性が必要とされます。明治維新を敢行できた薩摩・長州の下級武士は、「先見性と国際性のある一般市民」にも尊敬されるだけのものがあったということです。
(暴力によって尊敬を強いたのであれば、明治維新政府は市民の支持を得られない)

しかし、日本のイデオロギー政党を支えているのはトップのエリート幹部ではなく、あくまで、社会の下積みで苦労しながら政治的・社会的意識を高めた一般労働者であることは間違いありません。

現在、日常生活で本当の国際的な人間関係やつきあいを経験して、アジア理解を深めているのはイデオロギー政党のエリート幹部ではなく、一般市民なのです。


■ブッダの言葉:
「愚かな者は知識が生じても、ついに彼には不利なことになってしまう。それは愚かな者の好運を滅ぼし、彼の頭をうち砕くであろう。」

  • 三十七国民 2008年07月08日 10:54

三十七国民様

こんばんわ。
伊能忠敬の偉業はホントにすごい成果ですね。近代文明になくてはならないものを残しました。江戸時代の技術、学識のレベルを現代人はもっと評価すべきですね。

  • finalcut 2008年07月09日 00:28

コメントする

comment form

この記事のトラックバックURL

trackbackURL:

トラックバック