2008年08月03日
日本金融史4 ~明治政府と商人を結びつけたのは、結婚による縁結びだった!~
前回の記事~三井財閥がどのように誕生したか~では、三井を例に、財閥が明治維新前後にどうやって拡大したのか、を取り上げました
今回は、明治期に、政界と財界(政治と経済)がどうやって結びついたのか、そこに焦点を当ててみます
まずこの図がなんだか分かりますか
薩摩出身で初代大蔵大臣と総理大臣を歴任した松方正義の『血縁関係』を示したものなんです!
三菱・三井などの大財閥を始め、当時の名立たる富豪の名が並んでいます
どうしてこんな血縁関係が生まれたんでしょうか
そのカラクリを探ってみたい方は、ポチっとお願いします
ありがとうございます
明治新政府は、商人経験がなく財政の知識がない下級武士集団の集まりだったそうです!そのため幕末の外国奉行と勘定奉行が切り拓いた徳川幕府の外国貿易をそっくり
引き継ぎました
港に栄える産業を自分たちで支配することを考え、まず産業資本家を味方に取り込むために、巨大な閨閥を編み始めました。
その最も手っ取り早い手段が、結婚による縁結び、つまり政略結婚だったんです
松方正義はその典型です。
明治天皇に、「子供が何人いるのか」と尋ねられて自分でも子供の数が分からず・・・
「調べてから後日お伝えします」と答えたほどだとか
三井、三菱家を始め当時の豪商一族の10人以上と結婚しています・・・
同様に、三菱財閥二代目総帥岩崎弥之助、慶應義塾創始者の福沢諭吉らも閨閥を形成していますが、それらがまた婚姻関係で結び付いてます・・・
本当に巨大な閨閥になりますよね
現代に続く日本の財閥は、このように政治の中枢と血縁で結びつき、その権力を利用して急成長していったんですね~
参考資料『持丸長者 幕末・維新篇』(広瀬隆著)
冒頭画像もこちらの本からお借りしました。
- by manaty at 10:00 in 02.日本の金貸したち



コメント
ウィキペディアの家系図には、子供は22人が記載されています。そのうち正妻 満佐子が8男3女を産んだとか・・・
男も女も現代人とはスケールが違いますね^^;
この時代は、こうやって政略結婚をして序列に食い込んでいくことで、権力を獲得→その権力を利用して冨を拡大していっていたのですね!
財閥の名前は知っていましたが、こうやって成長してきた背景は知りませんでした!
勉強になります☆
派閥の形成では、閨閥・軍閥・学閥という言い方がされます。
そして、派閥形成の強さは、閨閥>軍閥>学閥です。
閨閥は、婚姻関係を絆として形成する。
軍閥は、同じ釜の飯を食った(労苦を共にした)事が絆です。
明治維新後の日本は、国家序列体制と市場・財閥体制の両輪で統治された。
国家序列体制は、政府高官と軍隊序列。そして、市場は財閥(銀行と主要産業)。
松方正義は、大久保利通が暗殺された後、薩摩閥、海軍閥(海軍は薩摩出身者が主流、陸軍は長州)の中心に位置しますね。
財閥で女は政略結婚の道具という言われ方がされますが、ココまで縁組が力となると、子供の多さは武器ですね。松方正義に子供がおいのはそういう力の象徴なのように感じました。
>watamさん☆
情報ありがとうございます!
子供が22人!!それは数えないと分からないですね!
正妻一人で11人も生んだとは・・・昔の女性はたくましいです(><)
>さんぽ☆さん♪
コメントありがとうございます◎
私も今回勉強して財閥の背景を知りました!
だからよくドラマとかでも使われるネタんですね(笑)
>leonrosaさん◎
コメントありがとうございます★
派閥の形成にも色々あるんですね~
確かに閨閥は血のつながりが生まれる分一番強いのが分かります!
勉強になる情報ありがとうございます(>U<)
>shijimiさん★
コメントありがとうございます♪
確かに子供も政略結婚に利用できますよね!
一夫多妻制はまさに財閥の為の制度ですね~
なるほどぉ~☆
政略結婚って聞いたことあったけど、
この記事読んで繋がりました~(^^)
まさに勢力拡大のための武器だったんですね☆
力をもつものほど、どんどん拡大できる仕組みなんですね、きっと!!急成長するのも納得♪
>mihoriさん☆
コメントありがとうございます(^^)
私もドラマでは聞いたことがありましたが、まさかここまで武器になるものだとは知りませんでした!たしかに一人でも結婚すれば力になる財閥とつながる・・・あっという間に巨大な組織になりますよね~!