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2008年08月04日

廃藩置県の大混乱と大手両替商の破綻

日本金融史3~三井財閥がどのように誕生したか~
で幕府に大金を貸していた「大阪の商人はどうした?なぜ動かなかった?」が疑問に出ましたね。
明治時代になると大阪の両替商がなぜ消えていったのか?その疑問に迫りたいと思います。

廃藩置県(1871年) haihanchiken.jpg

「廃藩置県の詔」読上げの図


1871(明治4)年,明治政府が江戸幕府以来の藩を廃止して府県に統一したこと。版籍奉還後も旧藩主が知藩事となり,封建制度が存続していたのをあらため,中央集権体制を強化しようとして行われた。地方は3府302県となり,知藩事に代わって府知事・県令(のちの県知事)が中央から派遣された。この結果天皇を中心とする中央集権国家の統治基盤が確立した。
◇この年さらに,府県を統合して3府72県とした(1890年には3府43県)。


図は 探検コム 様から
説明文は 学研キッズネット 様から拝借しました。


みなさん覚えていますか?学校の「歴史」で教わったのはこんなモンでしょう。

「廃藩置県」は、中央集権を確立して国家財政の安定を目的としたもので、これにより欧米列強による植民地化を免れたとされています。加えてそれまでの封権制度を解体して新しい時代の夜明けを迎える改革というイメージが定着しています。

実はこの「廃藩置県」という政策には、学校で教わらないとてつもなく大きな意味があったのです。


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明治4年5月、新通貨「円」が誕生しました。
(1両=)1円=1ドル、長きにわたり流通していた金貨(両)は廃止され、外貨と交換するのは明治政府が発行する円だけになりました。ドルと交換できる通貨を作ったのです。
その2ヵ月後、明治4年7月、新政府は「廃藩置県」を断行します。
これは薩長の首脳7人(木戸孝光、井上馨、山縣有朋、西郷隆盛、大久保利通、大山巌、西郷従道)で秘密裏に練られてきた政策です。

大名藩主は明治2年の版籍奉還によって知藩事と呼ばれていました。職制上、大名ではなくなりましたが、独立行政区として自主権を残していました。それが天皇の詔(みことのり)の形で藩を消滅させ、県を置くことを一方的に通告されます。これが「廃藩置県」です。旧藩主はいっせいに失職し、東京へ移住させられます。同時に主を失った200万人以上にのぼる旧藩士は路頭に迷うことになりました。


領土領民を奪われるという突然の事態にも、ほとんどの大名たちはスンナリ従います。
なぜなら、幕末に膨れ上がっていた債務で各藩は破産の危機に直面していました。
大手両替商は貸し渋りするし、藩札の取付け騒ぎが起こるわ、外国商人の借金取立てが厳しい。消費階級のトップだった「殿様」はまさに「借金王」となっていたのです。
そこへ大蔵省が「藩札と外国商の借金を引き受ける」としたのだから抵抗する道理はありません。


そして「大名貸し(藩債)」については・・・
明治6年に定められた藩債引き受けの細則では

1843年以前の債務を帳消し。
1844~1867年の債務は無利子50年賦、
1868~1872年(明治元年以降の5年間)の債務は4分利子25年公債で償還。

となりました。
藩債のほとんどが1843年以前から積上げられていたもので、それがすべて貸し倒れとなります。特に新政府の中枢になった薩摩、土佐藩の債務は莫大なものでした。それが「無かったこと」になったのです。藩のカネを使いまくった(私用に流用した)藩首脳ほど、食い逃げして儲かる結果になりました。


さて、多額の「大名貸し」をしていた大坂の両替商にとっては最悪の事態です。
明治元年の「銀目停止(ぎんめちょうじ)」(関西で流通していた銀貨の取引停止)でも打撃を受けていた大坂の両替商はこれで息の根を止められます。
大手両替商の天王寺屋、加島屋、平野屋、升屋、炭屋、茨木屋、泉屋らが一斉に倒産しました。


この「銀目停止→新通貨移行→藩債帳消し」の政令によって、大阪は日本経済の頂点から転落。日本中のカネ(円)を中央政府に集中させ、政府首脳が食い物にする基盤が出来上がります。
新政府にとって、大阪に大資本が集中する構造はなんとしても転換しなければならない課題だったのでしょう。
一方で、徳川時代に外国貿易の担い手となった藩営事業(生糸輸出など。前橋藩や上田藩他)や各藩の所有船舶もすべて政府に取り上げられることになります。これがそのまま「政商」三井の手に渡るよう画策したのが日本国郵便蒸気船事業です。

経済学的な捉え方をすると、太閤検地から延々と続いた米本位制が崩壊したということになり、「土地経済」から「貨幣経済」へ移行しました。
その意味で近代の自由経済市場はここから始まったという言い方も間違いではありません。しかしそれは支配者が邪魔者をつぶして市場を独占する奸計を成し遂げたということに他ならないのです。

結局、詐欺まがいの徳政令により商人が持っていた債権を紙くずにして大阪商人を潰し、新通貨を中央政府の特権階級のもとに集中させる仕組みをつくる。
つまり大阪に集まっていた富を中央政府に集める策略を正当化する政策が「廃藩置県」だったということです。


現在の世界経済事情もこの「廃藩置県」前夜とよく似た情勢になっているのではないでしょうか?そう考えると背筋が凍る思いが・・・


コメント

廃藩置県ってもっとクリーンなイメージがあったからびっくり!借金踏み倒しのために行ったんですね!!現代の金融不安と通じるものがありますね~★

  • shijimi 2008年08月04日 17:42

旧体制の借金棒引き、新体制の金貸したちの登場というしかけが同時に行われたということでしょうか?

このとき、欧米の金貸したちはどのような戦略をとっていたのかも興味を惹かれますね。

  • yamasho 2008年08月04日 23:11

>shijimiさん、こんにちは
明治以降の「歴史」では廃藩置県は素晴らしい改革なんですね。その結果日本人の封権制度アレルギーは相当なものになりました。(笑)

>yamashoさん、コメントありがとうございます。
1860年代といえばイギリスが世界各地に植民地を拡げ、世界貿易を牛耳っていた時代ですね。たしかロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーらが石油という新産業に乗り出した時期だと思います。彼らが極東の小国で起こった政変をどう見ていたのかは気になりますね。

  • finalcut 2008年08月05日 10:45

ほぇ~(@o@;「廃藩置県」って社会で覚えた気はしますが、
そんな大きな意味があったなんてびっくりです!!!

>詐欺まがいの徳政令により商人が持っていた債権を紙くずにして大阪商人を潰し、新通貨を中央政府の特権階級のもとに集中させる仕組みをつくる。

自分の利益のためなら本当に“なんでもあり”の世界なんですね…。コワイ…。。。

  • mihori 2008年08月07日 03:29

>自分の利益のためなら本当に“なんでもあり”の世界なんですね…。コワイ…。。。

mihoriさん、こんにちは
「自由」の真の姿が見えたようですね。(笑)
また、徳政令の「徳」の字にもだまされそうになります。

「言わない(1871)で、廃藩置県」の語呂合わせには、
深い意味が込められていたのかもしれませんね。。

  • finalcut 2008年08月07日 18:16

廃藩置県の本当の意味がわかりました!金貸しも力が無ければ国家に食われてしまうんですね~。
でもその後国家は誰から金を借りたんだろう??

  • kaku 2008年08月07日 19:31

kakuさん
>金貸しも力が無ければ国家に食われてしまうんですね~。

それはそのとおりで、このときも鴻池屋だけは痛手を受けながらも生き残っています。3代目のときに新田開発を行い広大な農地(鴻池新田)を持っていたので、実業収入で支えることができたらしいです。
余談ですが、三井が鴻池家を閨閥に取り込んだように、新興財閥は鴻池善右衛門と何らかの形で手を組もうとしたようですね。日本生命の初代社長になったのも名目だけ。江戸時代に築いた「鴻池」のブランドはかくも大きかったということでしょうか。

その後、新産業勃興の時代になり、財閥化した商人が新産業を取り込んで資本力を拡大していきます。一方、国家は富国強兵、侵略政策を進め、需要の開拓に邁進します。そこらへんがどうつながっているのか、今後の展開にご期待ください。

  • finalcut 2008年08月12日 01:31

そういえばいつか、明治維新とニセ金作りの件が
あったような気がしますが、あれを見る度に失笑がこぼれてなりません。再掲載を希望します。

  •  2009年08月16日 18:33

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