2009年09月24日
政府紙幣の可能性を探る~減価する貨幣だけでは足りない~
この間研究してきましたシルビオ・ゲゼル氏。改めて彼がいう「お金」が持つ特権性とは
①価値が劣化・陳腐化しない =蓄財が可能
②いつでもどこでも何にでも交換可能=高い流動性
でした。そのうちの①の部分を弱め、媒介物としての②の機能に特化させようとしたのが、ゲゼルのいう「減価する貨幣」なのです。

したがって、『減価する貨幣』を導入すると
減価する貨幣の導入
↓ ↓
流動性△ 蓄財▼→→→→→→資本家衰弱
↓ ↓
市場にどんどん貨幣が流通する ↓
∥
モノがどんどん売れる マネー経済▼
↓ ↓
実質経済が活性化←←←←←←←
↓
社会が活性化
・・・となるはずなのだが・・・・
続きの前にポチっとよろしくね
ポチッとありがとうございました
キダミさんの言うように、
現在、減価する貨幣を導入する
↓
一時的にはモノとの交換(=購買)が増えるでしょう。・・・・しかし・・
↓
それが落ち着くとモノが溢れ、売れなくなる。 ・・・・・・・・・ことは容易に想定できます。
↓
そうなると次には生活できる範囲の稼ぎに止まる。・・・・・・かもしれない。
↓
労働意欲の減退

誰も腐るほど食べ物を買いだめしないように、あくせく働いて劣化していく貨幣を溜め込まないからです。
これでは減価する貨幣を導入で資本家の影響力は減退するでしょうが、社会全体も活力が落ちていってしまいそうで、可能性を感じません。
なぜでしょう?
実は、これはゲゼル氏がいうお金の特徴で欠けているものがあるからです。
それは、お金は市場を活性化させる媒介機能にとどまらず、①②を併せて③皆が認める価値=社会評価の指標となっている点です。
つまり、かつては、私権(私的権益:地位、身分、お金など)なしでは生きていけなかった時代では、私権の多寡によって出来上がった序列によって社会が統合されていました。つまり私権≒お金が社会評価指標となっていたのです。
働く=生きるため=お金を稼ぐ=社会評価獲得
でした。生活のため、”生きるため”にお金を稼げば稼ぐほど、私権獲得と共に社会評価も得られたのです。
しかし現在、私権欠乏が衰弱すると、お金を稼ぐことは社会評価とはつながらなくなり
働く=生きるため=お金を稼ぐ+社会評価獲得
となっています。
共認動物である人類は、本能(食欲、性欲など)さえ充足していれば、それで生活に満足するか?といえばそうではない。共認充足⇒期待応望充足⇒評価充足が必要なのです。
私権が衰弱してしまうと、お金を稼ぐだけでは生活にハリがない=働く動因になり得ない。
むしろ今や社会評価(評価充足=社会からの期待応望充足)が働く大きな動因になっています。しかし現在、お金に取って代わる社会評価指標が未だないのが実情。
その中で減価する貨幣を導入すれば、お金を稼ぐ意欲を減退させるだけになり、働く意欲に何ら応えていないことが分かります。
『政府紙幣の可能性探索』によって、紙幣発行権をどうする?という視点から、そもそものお金の問題性にぶち当たりました。そしてゲゼル氏を道しるべにお金の特権性を剥奪する一つのシステムも見えました。しかしまだ足りないことが分かりました。
金融システムも見直しは、単なるお金の仕組みの見直しではなく、次代の社会評価システムを構築することが不可欠なのです。
考え方のアプローチとしては、市場での「生産活動」と「社会貢献活動」の両輪を持ったシステムにするのが一つ。
そこでは市場での媒介項としてのお金は市場の商品と同様に劣化していく「減価する貨幣」を使用し、社会活動の媒介項は別システムにする。
例えばみんなのため、社会のために活動したその評価=成果として、社会サービス(公的サービス:今で言えば、医療費、社会保障、情報通信など?)を優先的に受けられるようにする、もしくはそうした社会活動の中核機関への参加機会の増加とか・・・。
もう一つのアプローチとしては、その2つのシステムも統合したものにするモノ・・・。
ちょっと壮大すぎて、妄想に近いものになりそうです。
しかし面白そうでもある。
引き続き何かヒントになる情報を探索
し、より具体的に検討できそうになれば、再度ここで記事
したいと思います。
- by goqu at 22:00 in 03.国の借金どうなる?

コメント
私も、平和で公平で循環する社会という見地から、お金の問題に行き着き、ゲゼル氏のシステムを提唱する意見に出会いました。
無知な私にとっては、なるほどと目が覚める思いです。
それとまた、あなたの考え方のひとつにあるように、お金のシステムを変更するだけで、理想の人間社会が完璧に構築できるとは思えません。まあ、常に進化するために、完璧などないでしょうが。
ところで、おなたが仰る「社会評価」は、お金が指標とされていますが、確かにそのような点は大きいと思います。それこそまさに「お金崇拝社会」の産物であるような気がします。つまり、お金の特性「③.社会評価の指標」ではなく、先の①と②から生じる「現象」であると思います。
お金の価値が現実離れして高く評価されるため、それを基準にすべてを評価する。そのお金を減価する貨幣にするなどして絶対的な価値を下げれば、自然と評価のための基準の対象外となり別の評価の形に変化していく。①と②が変われば③は変化せずを得なくなります。
どのように変わるかは分かりません。
しかし社会評価には、すべてにおいて、お金または何らかの実質的利益が必要でしょうか。人によるとは思いますが、何かの仕事に対してその評価充足には「本物の感謝」である場合もあると思います。そこに実質的な利益はなくても、それで十分であったり。真に感謝されれば、奉仕するほうはやりがいを感じるものだと思います。それだけで、その人の存在価値・労働価値=社会評価はあります。それは「感動」でもよいと思います。自分の発明や芸術的素質(歌や絵など)に感動してもらったら、それは本人にとって最大の評価となるでしょう。自己実現ですね。そこに実質的利益があってもよいですが、評価のシステムは本来それくらい単純なものではないかと思います。
もちろん皆が奪わずにも十分な生活をできる環境があればこそのことです。その環境構築は、お金のシステム改革だけでなく、人間の精神性の改革も不可欠となってくるでしょう。
そうなれば、お金を稼ぐためだけの労働意欲は減退するでしょうが、その分自己実現の連鎖といいましょうか、社会を循環するより本質的な活動が活発になってきませんでしょうか。
これこそ壮大すぎて妄想の域に達していますね。
>kamiariさんコメントありがとうございます。そして鋭い突っ込みも感謝です。
そうですね。確かに「ありがとう」とか直接の言葉が仕事での大きな充足であり、活力になります。私も記事を書いていて、個人的には「それでよいかなあ」とも思いました。
しかしそれでは社会をどう統合する?という課題が置き去りになってしまいます。私権序列という社会統合軸が崩壊したために、社会は機能不全を起こしています。
そこでみんなが求めているのが社会評価であれば、それによって何とか社会を統合できないかと考えたわけです。社会評価の大きい人たちで社会を統合していく。実質的利益は付加的なもので、社会統合の場をそういう人たちに担ってもらうイメージなのです。
ただ具体的にどうすんねん?と突っ込まれるとまだイメージすら追いついていない状況なのです。ですので今後アンテナを張り巡らして、ヒントとなる情報収集したいと思います。