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2009年10月04日

『経済学って、本当に正しいの?』 1

先日「経済」を勉強しようと書店へ行くと2009年上期経済書「ベスト経済書20」が並べられていた。
「いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ」「アニマルスピリット」「世界恐慌と経済政策」「現代の金融政策」「金融危機の経済学」等どれを見ても???
   
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インターネットで「経済」を調べてみると同様ではあるが、
今回の世界経済危機が“マクロ経済学の理論体系の変更を要請しているのではないか”
リンク )とか、
    
“今日の経済危機は、経済学そのものにも挑戦状を突きつけている。
いまこそ、新たな経済理論が求められているのだ”( リンク
    
といっており、近代経済学自体への疑問の声が出始めているのが分った。
“近代経済学自体への疑問”はなかなか興味深い。
    
当ブログでも『経済学って、本当に正しいのか』を追究してその答を出していきたい。
おおよそ7、8回位の予定で答が出せれば良いと思っている。
今回はその第一回目“現状の経済システムの問題”を扱ってみたい。
   
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“現状の経済システムの問題”

この疑問の答えとして"るいネット”(リンク)の秀作に
『現状の経済システムに問題あり』(リンク)と言う投稿がありましたので紹介します。


そもそも、消費が拡大しない限り、現在の経済システムが成り立たないところに問題があるのではないでしょうか。

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     (アダム・スミス)      (レオン・ワルラス)     (ケネス・アロー)    
■■■「ホモ・エコノミクス」というドグマ
 経済学では,「すべての人間は己の利益を最大化するように行動する」という人間像を前提条件として考えています。

 アダム・スミスに始まる近代経済学は、リカードによる数量化、ワルラスの限界革命と一般均衡理論、アロー、ドブリューの高度な数学による均衡理論の完成という歴史をたどって作られた、現在の数理経済学のモデルは、二つの行動原理が前提となっています。

 それは、企業は利潤最大化を、消費者は効用最大化を目的として経済活動を行う、というものです。

 このような人間像を「合理的経済人」(ホモ・エコノミクス)と呼びますが、この純理論モデルは、現実を説明しきれないにも関わらず、モデルの限界が明確でなかったこと、他の行動モデルを扱うことができなかったことを理由に、長い間、存続し続けました。

(現在の経済学では、ゲーム理論など、経済主体への条件付けが考慮されるようになってきています。)

■■■「神の見えざる手」
 この行動原理の導入によって、経済学は経済主体の行動を数学的に処理することが可能になり、市場における「神の見えざる手」の正当性を証明することができたのです。

 「神の見えざる手」とは、個人が(社会的公正を考えなくとも)己の欲望に忠実に経済活動(消費と生産)を追求すれば、市場の中で自ずと供給と需要の均衡が達成され、結果として社会的公正と福利が達成するという仮説です。

 経済学、およびここから派生した現代の財政理論、金融理論は、この仮説を軸に、補強と批判を繰り返しながら発展してきました。

 我々が経済を語るにおいても、このホモ・エコノミクスのモデルは、無意識に前提とされています。

 「なぜ、消費は拡大しないのだろう?」という問いを発する意識の裏側には、新古典派の理論モデルの考え方が明らかに反映されているのです。

■■■現状が示す理論の誤謬
 しかし、社会的正義は達成されたでしょうか?

 積み上がる財政赤字、破壊される環境、投機市場による実物経済の蹂躙は、解決できるのでしょうか?

 現状の不況は、この仮定に対する、まさに反証です。

 我々に必要なのは、「ホモ・エコノミクス」を越えた新しい経済原理ではないでしょうか?


  
18世紀後半、アダムスミスらは産業革命後の労働に着目し、労働価値説を基礎とした古典経済学を提唱した。しかし、資本家や地主が登場してくると労働力の投下と利益が見合わなくなってきた。
   
そして1870年代メンガーとジェボンズはこれを説明するが如く、価値の本質は人間の欲望とそこから生み出される評価、とする新古典派経済学を唱えた。さらにワルラスは労働、土地、資本まで含めた一般均衡理論にまで拡大、発展させ近代経済学を確立した。
   
そして近年、資本家(おそらく金主や金融)は経済学者を集め、経済学(≒ファイナンス理論)と言う名の賭博理論を希求し始める。
   
つまり「経済学」とは資本家の利益拡大の為の学問とも言える。
資本家は経済学者に助成し、金儲けの手法を考えさせ、世論を敵に回さないようにする屁理屈を考えさせたのだろう。
   
そして、この最終が今回の世界金融危機なのであろう。
これが経済学の正体!???
    
今回は「経済学と経済システム」の成立過程を見たが「大いに問題あり」である。
次回は経済学の根幹に迫ってみます。次回にご期待下さい。

コメント

産業革命以降、古典経済学→新古典経済学・・・→新市場主義と言った経済学の変遷を俯瞰すると、社会正義とは真逆の追求学問と思えてならないですね。

これらの経済学は、産業革命に始まる。
疎外労働が問題となり始めると労働価値を持ち出し、機械生産の限界が見えてくると効用理論を説く。
その後、国家財政投入を誘い、ファイナンス理論までもが登場してくる。
最終的には、新市場主義などと裾野を広げ、とっくに限界を越えていてドッカン!!これが今回のハタンでしょうか?

って事は、一番悪いのは経済学者??

  • 垂心 2009年10月04日 17:52

コウルズ財団など、どの時代を見ても、○○財団と経済学者達のつながりか浮かび上がってくる。
委員会を作って経済学者を集め、中には資本を学者に運用させたりもしている。

要するにパトロンの金庫番が経済学者だったのでしょうか?

金融工学まで俯瞰すると、学術と言うより、賭博理論。
もっと言うと、八百長賭博学・・・・カイジ真っ青。

経済学者達が、やたらと、道徳的な理論を持ち出すのも、この様な欺瞞性が故なのでしょうかね?

  • 牙狼 2009年10月04日 17:59

アダム・スミスは、近代経済学の基礎を築いた学者であるが、労働価値説や道徳情操論、国富論は当時の大衆、特権階級のどちらに支持されていたのだろうか?

>世論を敵に回さないようにする屁理屈

労働価値や同感といった概念は、一見本源風に感じられる。しかし結局は特権階級の正当化の一役を買っていたに過ぎないのではないか。

  • 緑一色 2009年10月05日 10:51

>この純理論モデルは、現実を説明しきれないにも関わらず、モデルの限界が明確でなかったこと、他の行動モデルを扱うことができなかったことを理由に、長い間、存続し続けました。

なるほど!
ここポイントですね。
そう考えるとこれまで「経済学の前提がそもそもおかしい」ってことに誰も気づけない+問わなかったことのがやはり不思議。資本家による見えない力学でしょうかね。。。

>つまり「経済学」とは資本家の利益拡大の為の学問とも言える。

ここのところ、もう少しミソを教えてもらえませんか? なんで資本家に有利なのか・・・中身がもうちょっと知りたいです。お願いします!

  • watasin 2009年10月05日 11:31

>企業は利潤最大化を、消費者は効用最大化を目的として経済活動を行う、というものです。

このあたりが日本人にとって今ひとつしっくりこないところです。

■長寿企業の秘密は社会的役割意識(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=209939)
■長寿企業から集団のあり方を考える(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=207518)

創業200年を超える企業の40%が日本にあり、その多くは上記の前提とは違う理念の下、今も存在し続けているという事実が、その胡散臭さを証明しています。

  • Kato 2009年10月05日 22:56

>このような人間像を「合理的経済人」(ホモ・エコノミクス)と呼びますが、この純理論モデルは、現実を説明しきれないにも関わらず、モデルの限界が明確でなかったこと、他の行動モデルを扱うことができなかったことを理由に、長い間、存続し続けました。

実際はそのような人間像でないと理論がなりたたないからそのようなモデルにしたと考えられます。

>つまり「経済学」とは資本家の利益拡大の為の学問とも言える。
資本家は経済学者に助成し、金儲けの手法を考えさせ、世論を敵に回さないようにする屁理屈を考えさせたのだろう。

小難しいことは、内容が高尚に思いがちなのですが、実際には事実を隠していることが多いと思われます。

あたりまえのように経済学を論じている人たちは、意外と事実を知らないか知っていても黙っているとおもられます。

  • ヤンバルクイナ 2009年10月10日 00:58

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