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2009年10月08日

物的需要にかわる「新しい需要」の発掘

これまでの市場社会を拡大させてきた主動因は「物的需要」です。
しかし、ほとんどの人に物が行き渡り、物的需要が減退してしまった今は、生産力過剰の状態、つまり供給過剰の状態に陥っています。
それでも、経済を活性化させる為に、無理やり物的需要を刺激しようとして、無駄とも思える政策や資本投入が繰り返されています。


これでは何も解決しないし、人々の活力も下がるばかり。
既に飽和した物的需要に頼るのではなく、「新たな需要」を発掘する必要性が高まっています。


そこで今回は、この「新たな需要」に関する記事を「るいネット」から紹介したいと思います。


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「類的供給って、すごいシステム☆」(るいネットより引用)


>これは、次のように云い換えることもできる。生産性が上昇すれば、そのぶん価格が低下する。従って、余剰の需要が生じる。これは、物的生産の側から見れば需要の縮小=不足であるが、人々はその余剰需要で類的供給を享受できるようになるということである。それに、物的需要を超えた供給力の過剰分までは、国家紙幣を発行して類的供給を支援しても、インフレにはならない。<

生産性の上昇によって余った、余剰時間(お金)をどう使う?って、考えてみたらすごく大きな問題。

なぜなら、レジャーももう十分だし、これといってやりたいこともないし、欲しいものもない。

そんな余った余剰時間(お金)を、仕事がなくて困っている人=何もしない人を保障するために使うくらいだったら、本当に求められているけれどもお金にならない、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」といった仕事をする人にお金を払ってあげたらいい。

そうすることで、みんなが農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」といったサービスを享受することができる☆

社会には、求められている仕事があるけれども、お金にならないという状況認識と、働くことは苦役ではない。楽しい☆という状況認識があって、はじめて考え付く、みんなが元気になれるシステム☆

しかも、

>物的需要を超えた供給力の過剰分までは、国家紙幣を発行して類的供給を支援しても、インフレにはならない。<

これって、すごいシステムです☆


(補足)

●類的需要とは?
→類的需要とは、芸能や芸術や教育その他の非物的需要=広義の認識需要の事を指します。
 老人介護や子育て支援、悩み相談なども、どうしていったらいいのかという答えを出すための認識が求められているという点でも、類的需要と位置づけられます。
 参考:「超国家・超市場論25 社会空間では、『現実に必要な認識』は、必然的に市場化される」(るいネットより)
 
 
 貧困の圧力のように本能を刺激するような欠乏から生まれてくる需要を「物的需要」とすれば、人と人との関係性の中にある共認欠乏から生まれてくる需要が「類的需要」です。
 同じ性能のものであっても形や色といったデザインの違いや、昨今では健康志向や環境への配慮といった付加価値の部分、ホテル・レストラン等のサービス産業も類的需要に応える内容といえます。
 また、「類的需要」はその時々の人々の共認内容によって変化します。


 物的需要が市場社会を拡大させている時代は、類的需要は付加価値的な位置付けで扱われる事が多かったですが、物欲が衰退し、社会に対する不安が増大してきた現在では、社会を良くするためにはどうすればいいかといった意識が高まってきており、類的需要の内容も、物の付加価値から、物から離れて観念的な内容(社会の仕組みが知りたいというような『認識』そのもの)へと変化してきています。


●類的需要は極めて普遍的に潜在している欠乏であるけれども、同時にそれは答えの供給なくして決して顕在化することは無い。
→物的需要はそれが欲しいという需要側からの要求があって初めて供給が行われますが、類的需要は、欠乏としては至るところに存在し、問題点として挙げられることはあっても解決策が見出せず放置されている事が多く、そのままでは明確な需要として現れてきません。


 解決策としての答えが提示され、それが共認されて初めて、それを必要とする人たちの需要が喚起されます。


 需要発から供給発へ、これまでの認識から180度の転換が求められます。
参考:「需要発から供給発へ」(るいネットより)


●供給不足である類的な需要領域は膨大にある。
→類的需要の中でも、最も多くの人々が必要としているであろう「活力再生需要」
 今や活力を再生することは、社会全体の大きな課題ですが、これに対する答えの供給者は明らかに不足しています。


 答を紡ぎ出す「場」や活動そのものに支援金を投入し、供給者を増やしていけば、眠っている膨大な類的需要を喚起することが可能になるかもしれません。
参考:「活力再生需要に対しては『供給者不足』」(るいネットより)


 需要発から供給発への認識転換とともに、人々に求められる答えの供給者=類的供給者を育成するシステムがあれば、みんなが元気になることも充分に可能なことだといえるでしょう。

コメント

類的需要は答えなくして顕在化しない、というのが面白いですね♪
その答えは何を根拠に生まれていたの?と考えると、みんなと潜在思念でつながっているということ、なんだと思います。
みんながスッキリすることで、自分もスッキリする。
供給者と需要者は双方向関係であることも、市場の取引関係との違いですね。

  • コバヤシ 2009年10月08日 23:50

コバヤシさん、コメントありがとうございます。

>供給者と需要者は双方向関係であることも、市場の取引関係との違いですね。

確かにそうですね。需要もその答えも「みんな」の中にあるというのが、類的需要というものの大きな特徴だと思います。
供給者自身が、積極的にみんなの中に向かっていかなければ答えも得られないということが、今のマスコミがやっている、形だけの双方向との大きな違いを感じています。


  • minezo 2009年10月10日 23:37

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