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2009年10月05日

経済破局を突き抜けていく道標 ~潮流2:戦後日本の意識潮流

前回記事『潮流1:共認原理と私権原理』では、6000年前に勃発した略奪闘争以降、社会の統合様式が、序列統合=私権統合へと転換してしまったことを扱いました。
  
その後、近代になると(200年前以降)それまでの序列統合を解体させつつ市場が急拡大していきます。
  
市場を拡大していったエネルギーとは、何なのでしょうか?
今回は、戦後の日本に焦点をあてて、市場が拡大していく過程をみてみましょう。
  
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いつもありがとうございます m036

以下、るいネット『潮流2:戦後日本の意識潮流』から引用します。

 
(明治から大正にかけて、「恋愛」観念が日本に繁殖しはじめた。「竹久夢二」より)

明治時代、士族の消滅と藩に代わる中央議会制度の成立によって、序列制度は表面上は無くなったが、1800年来培われてきた序列規範は強く残存し続けていた。

その後、市場の拡大につれて、恋愛や小説や新聞が繁殖してゆき、序列規範も少しずつ衰え始める。しかし、国家の体制が変わっても、集団を統合する新たな統合原理は登場せず、官庁や企業では序列制度がそのまま残存し、現在も序列制度はそのまま続いている。
  
  


(「民主主義」は上辺だけで、仕事の場は序列原理のまま。「女工哀史」より)

これは、極めて重大な問題である。まやかしの近代思想に染められた識者たちは、この点に触れることを避け、この問題から逃げ続けてきたが、それは彼らの口にする「民主主義」が欺瞞に満ちた騙しであることを端的に示している。経済破局後の新たな時代に向けて、今求められているのは、日々、大半の時間と精力を費やす仕事の場=企業集団を、いかにして序列原理の集団から共認原理の集団に改造してゆくかという、その答えである。(その答えの一例が、自主管理への招待です。)
 
戦後になると、’50年代、’60年代の理由なき反抗、怒れる若者たちetcの現象が示すように、序列規範が一気に解体されてゆく。
しかし、それは市場拡大を担う消費の主役として期待され持ち上げられてきた若者たちによる農村育ちの親父世代に対する反抗、主要には個人主義etcの都市的思潮による農村的規範への反発であった。つまり、それは農業から工業への生産様式の移行に伴う変化にすぎない。(注:一般には、戦後憲法によって前時代的な序列規範は大きく崩れていったように見られているが、憲法は生産様式の移行に伴う変化を加速しただけである。)
 


(若者が性の自由を謳歌した。「狂った果実」より)

  
  


(’65年以降「恋愛結婚」が主流に。「恋愛結婚とお見合い結婚の割合」より)

    
従って、序列規範が衰退しても、貧困が残存している上に、企業には序列制度がそのまま残存しており、身分や私益を追求する私権欠乏は衰えを知らずむしろ強まってゆく。だからこそ、’60年代、’70年代は、自由な性(正確には商品価値の性=自我・私権の性)が花盛りとなったのである。
 

(マスコミが煽って、自由な性が花盛り。「ピンク・レディー」より)

  
要するに、戦後も、私権統合の社会であることに何の変わりもなかった。しかし、その間に、恋愛と消費に支えられたマスコミ権力が強固に根を下ろしてゆき、マスコミの共認権力は、資本権力に迫る勢いを示し始める。(注:いつの時代でも、戦争etc激動の時代には国家権力が強くなり、小康・安定の時代には教会etcの共認権力が強くなる。但し、近代以降は、資本権力が国家権力にとって代わって第一権力となっている。戦後も、混乱期は資本権力の方がマスコミ権力より強いが、’50年代・’60年代と社会が安定してゆくにつれて、次第にマスコミ権力が資本権力に拮抗する力を持ち始めてゆく。)

近代市場社会を一言で要約すると、「性エネルギーによって序列規範を崩壊させ、なんでもありの自由が蔓延した時代」と言えます。(その結果が、サブプライム詐欺であり、金融秩序が崩壊に至るのも、ある意味必然ですね。)

「性の自由」が市場拡大を進めた点について、さらに追求したい方は、こちらの記事も合わせてお読み下さい。

m117 『なんでや劇場レポート①「社会の最基底構造は性・婚姻制度」』


さて’70年以降、貧困の消滅によって、性を中心とする私権エネルギーが衰弱し市場は縮小過程に入ります。そして同時に、新しい可能性が開かれていきます。
次回は、大転換していく’70年以降のようすをみていきます。お楽しみにm030

コメント

'50~'60年代の若者がエネルギーを爆発させた情景は小説と映画でしか知らないが、その時代に少し遅れた私たちの世代にはまぶしいものだった。
私たちが大人になったのは'70年に貧困が消滅してしばらくしてからのこと。旧規範の制約はかつての若者たちほど受けていない。輝きたくって奔放に振舞おうとするものの所詮はマスコミに踊らされた幻想だったのか、前世代のような突出したムーブメントにはならなかった。

前の世代も、私たちも、あとに続いた若者もマスコミが描く若者像を演じようとしていたに過ぎない。そのエネルギーは旧規範の残存度合いに比例して小さくなっていく。いまでは家庭も学校も旧規範の残影は消えてなくなった。

いまの若者はあらたな収束先を捜しはじめています。若者がマスコミの操り人形である時代は、早晩終わりを迎えるでしょうね。

  • finalcut 2009年10月05日 22:40

日本戦後の復興とその後の経済発展の原動力が、実は恋愛と消費という自由な性に支えられたものであることが良くわかります。

まだ、'70年までは、貧困の圧力も強く働いており、各個人の私権追求のエネルギーが、それまでの序列規範を解体しながら、物質的豊かさ追求につながっていった様子が良くわかりました。

  • どんぐり 2009年10月06日 01:29

>「民主主義」が欺瞞に満ちた騙しであることを端的に示している。

民主主義って理由なくいいものって思える感応観念だったんだ!ってことが気づきでした。本当に実現しようなんて思ってないお題目だから、識者はそこを避けたし、企業から序列はなくならなかったんですね~。

序列・貧困に対する反の意識が作り出したものだから、現代、平成デモクラシー(=民主主義、自由主義的な運動)とか言っても響かないのでしょうね。

  • いるか 2009年10月06日 12:49

学校で“民主主義”を習って、違和感を感じたのを覚えています。
身分制度が無くなった。選挙権がある。多数決。といっても、やはり世の中は序列原理で統合されていたからですね!
いくら響きの良い言葉でも、実現できなければ騙せない。

>経済破局後の新たな時代に向けて、今求められているのは、日々、大半の時間と精力を費やす仕事の場=企業集団を、いかにして序列原理の集団
から共認原理の集団に改造してゆくかという、その答えである。

“民主主義”みたいに押し付けの原理でなく、みんなが求めている原理にとても可能性を感じました☆

  • じゅごん 2009年10月06日 22:49

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