2009年10月26日
経済破局を突き抜けていく道標 ~潮流5:失われた40年

前回記事『潮流4:輸血経済(自由市場の終焉)』では、
①豊かさが実現された’70年以降、需要が頭打ちになって自由市場は縮小過程に入ったこと。
②市場が縮小している以上、いくら国が資金をつぎ込んでも実態経済が回復することはなく、余ったお金が投機市場に流れ込んでバブル化するだけであること。
を学びました。
今回は、’70年以降の40年間、市場縮小という現実から目をそらし、無為無策のまま景気対策と称して国の借金を積み上げたのはなぜなのか? 本当はどうすれば良かったのか?を扱います。
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ありがとうございます。
るいネット『潮流5: 失われた40年』からの引用です。

この国債発行→バブル経済、そしてその後のバブル崩壊から経済危機に至る流れの全ては、市場拡大を絶対命題とする特権階級の利権維持およびその特権の維持と固く結びついた彼らのイデオロギーが生み出したものである。 おそらく彼らは、市場拡大は自分たちの特権を維持するためではなく、国際戦争に打ち勝つために不可欠だったのだと主張するだろう。 しかし、それは本当か? 本当は、’70年、豊かさが実現された時、「市場は拡大を停止するしかなくなった」のだという現実を直視し、素直に『ゼロ成長』戦略を打ち出していれば、現在見るような経済危機に陥ることもなく、また国際競争力を失うこともなかったのである。 問題は、国債投入なしには市場を維持できないという事実、つまり自由市場など絵空事であって、現実には、国家市場(国家によって支えられた市場)しか存在しないのだという事実から目を背らし、「自由競争・自由市場」という幻想を捨てようとしなかった点にある。要するに彼らは、事実に反する(彼らには都合のいい)イデオロギーに固執し続けてきたのである。

この世には、医療だけではなく、農業や介護や新資源・エネルギー開発、あるいは「なんでや露店」のような社会活動etc、市場には乗り難い(ペイしない)が、社会的に絶対必要な仕事(or活動)がいくらでもある。市場に資金を注入するなら、すでに飽和状態に達した物的生産ではなく、あるいは福祉と称して単なる消費者にバラ撒くのではなく、市場ではペイしないこれらの類的生産を刺激or支援する方向に資金を注入することもできた筈である。例えば、農業や介護etc各供給者の売上に応じて、その50~150%の支援金を支給するという形にすれば、競争活力を失うこともない。 これは、次のように云い換えることもできる。生産性が上昇すれば、そのぶん価格が低下する。従って、余剰の需要が生じる。これは、物的生産の側から見れば需要の縮小=不足であるが、人々はその余剰需要で類的供給を享受できるようになるということである。それに、物的需要を超えた供給力の過剰分までは、国家紙幣を発行して類的供給を支援しても、インフレにはならない。
このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。しかし、特権階級は「市場拡大を絶対」とするイデオロギーに固執し、900兆もの資金を市場に注入し続けてきた。これは、彼らが己の特権とそれを支えるイデオロギーにしがみ付いてきた結果であると云うしかない。 彼らには、この失われた40年を総括して、せめて「自由競争・自由市場など幻想」であり、「現実には国家に支えられた市場しか存在しない」のだという事実くらいは、素直に認めてもらいたいものである。それさえ学習できないのなら、この失われた40年は全く無駄になる。
市場拡大絶対というイデオロギーから離れて現実を見れば、
①お金にはなりにくいが、社会的に必要な活動=仕事はいくらでもある。
②そういった活動に国が支援金を払えばよい。
③単に補助金として払えば、もらった側の活力を削いでしまうが(ex.減反政策)、活動(=売上)に比例して支援金を支給する方式にすれば、活力も成果も上昇する。
④しかも国家紙幣で支援金を支給すれば、国の借金がふくれることもない。
こうした政策転換は40年前に行われてしかるべきであったが、今からでも遅くない。「失われた40年」をしっかり総括して、今後の政策に生かして欲しいところです。
<さらに詳しく勉強したい方へお勧め記事>
☆既にある700兆もの借金は、どうすればいいの?
⇒『「国の借金が700兆もできたのは何で?」は、新理論の有用性を示す、推奨お題』
☆いままでの補助金と、類的活動への支援金はどうちがうの?
⇒『また、新認識が可能性を開いてくれた』
さて、’90年のバブル崩壊以降、私権欠乏(女や金や地位を求める欠乏)が衰弱し、社会は統合軸を見失っていきます。次回は、’90年以降現在までの意識潮流の変遷をみてみます。おたのしみに
- by watami at 23:08 in 01.世界恐慌、日本は?



コメント
>生産性が上昇すれば、そのぶん価格が低下する。従って、余剰の需要が生じる。これは、物的生産の側から見れば需要の縮小=不足であるが、人々はその余剰需要で類的供給を享受できるようになるということである。
生産性向上は、企業にとっては物を安く供給でき、その分その企業の競争力を向上させる。・・・というくらいにしか捉えていませんでした。
そして、同時に生産性の向上とともに、人の手が余り結果的に、仕事が少なくなると考えていました。
しかし、生産性の向上⇒類的供給力のアップと考えれば、企業はやりたくもないリストラをする必要はなくなるし、物的生産はこれ以上必要ない中で、社会全体の産業構造の変革もスムーズにできそうです。
>このように、物的需要(の喚起)から類的供給(の喚起)へと舵を切っておれば、日本経済はバブルにも経済危機にも陥らず、次代をリードする国家市場を実現し、世界にそのモデルを提示し得た筈である。
確かに、その通りだと思います。今からでも(急げば)まだ、世界にモデルを提示することは可能です。
「急げば」と書いたのは、先進諸国で、すでに『ゼロ成長』戦略の模索が始まっているから。
⇒『経済成長からの脱皮を思考する人々』
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=216047
池田内閣の参謀として所得倍増計画を設計した経済学者の下村治は、石油ショック後「安価な資源が無制限に安定供給されるという『成長の基盤』はもはやなくなった」と喝破し、1987年には『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』という著書を発表しています。
現在の経済危機は、下村が当時に指摘した問題と処方箋を、特権階級が闇に葬り去り、米国の言いなりになって問題を数段拡大してしまった結果だともいえます。
参考:30年前の「ゼロ成長論者」下村治
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=217857
働かない人に補てんするお金をあげるのではなくて、収入に繋がりにくい(介護とかの仕事)をしている人に支援するお金の使い方をするほうがいいし、そういう需要はまだまだ沢山ありますね☆そうしたほうがみんあの活力が上がりますね。
補助金も支援金も同じように感じてましたが、全然違うことに気づきました!
補助金は、需要がなくなった物的生産=みんなが必要としていないものに与える。
必要とされていないものを外圧=内圧(活力)を弱めて生きのばしているだけですね(><)
支援金は、みんなに必要とされているものに与えられるべきもの。
需要があるから、供給につながり、無駄にならない☆
補助金や、消費者へのバラ撒きは必要ない!
その分を本当にみんなが必要としている類的生産への支援にすることにとっても可能性を感じました(^^)
どんぐりさん、匿名希望30代♂さん、finacutさん、イルカさん、manatyさん、コメントありがとうございます^^
フランスで、「縮退」=「経済成長からの脱皮」を国会で主張する議員が登場したというのは、おもしろいですね。
物的欠乏の限界、環境破壊という2つの問題から、経済は縮小するしかないわけで、これから「縮退論者」が日本でも登場するのは時間の問題です。
「経済成長」という目的に替わる、社会の統合軸がもとめられますが、経済成長が大事なのではなく、「みんなが必要としている活動=仕事」を作り出すことが重要なのだ、と考えることで、突破口が見えてきました。