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2009年11月05日

アメリカの覇権、今後のシナリオ~原子力ビジネス~

 前回「アメリカの覇権、今後のシナリオ~知財と資源~」で触れたように、世界を支配する権力=覇権としてあげた4つのうちの一つである「資源=原子力」について今回は扱いたいと思います。


 原子力発電の燃料となる「ウラン鉱物」の争奪戦こそが、資源をめぐる覇権争いそのものかと思いきや、実はもっと上位での覇権獲得のシナリオが、ロシアとアメリカの間で進められているようです。


manga193.jpg
画像は「けんちゃんの吠えるウォッチング」からお借りしました。

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 核分裂反応を利用した原子力システムは、商業用の原子力発電だけでなく、原子力潜水艦や原子力砕氷船などの駆動機関としてや、医療における放射線利用、理工学分野での中性子利用等にも用いられています。
 また、最近では宇宙開発におけるロケットの推進動力や、宇宙空間での電力源としての原子力システム利用も検討されています。


 原子力発電については「自然の摂理から環境を考える」ブログの以下のシリーズで詳しく扱われていますので、ぜひそちらをご覧下さい。


基礎からの原子力発電~第1回 原子力発電の仕組み~
基礎からの原子力発電~第2回 ウランって何?~
基礎からの原子力発電~第3回 ウラン資源は寡占状態~
基礎からの原子力発電~第4回 原子力発電の問題~
基礎からの原子力発電~第5回 原子力発電所で働く人々の実情~
基礎からの原子力発電~第6回 核燃料サイクルから考える原子力1~
基礎からの原子力発電~第7回(最終会)動き出さざるを得ないプルマーサル計画~


 上記で紹介したシリーズでも扱われていますが、原子力発電で使用される核燃料は「低濃縮ウラン」といい、天然ウランに含まれるウラン235(U-235)の濃度を3~5%に高めたものを使用します。
 放射線や中性子を利用する研究炉、試験炉と呼ばれるものでは、U-235の濃度を20%に高めたものが使われています。


 ここで注目していただきたいのが、天然ウランという資源は、そのままでは原子力発電等に利用できないという事です。
必ず「濃縮する」という過程が必要になります。
 また、使用済核燃料は高レベル放射性物質である為、簡単には処分できません。この処分方法をどうするかという問題も、原子力システムを利用する上では避けられない問題です。


 つまり、ウラン鉱物という「資源」そのものも重要ですが、それ以上に濃縮・処分という「技術」が原子力システムの重要な位置を占めています。


ここで、本題に入る前に核兵器とウランに関する歴史的動きを見てみましょう。

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
○1957年 IAEA(国際原子力機関)設立。本部はオーストラリアのウィーン。
→1953年アメリカ大統領アイゼンハワーの提案をもとに発足。原子力の軍事利用防止、平和的利用促進の観点から、研究・開発・安全基準の設定や、保障措置(核兵器利用されないように監視する)を定める。


○1963年 NPT(核不拡散条約)が国連で採択され、1968年調印、1970年発効。
→・核保有国・・・アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国⇒核兵器の他国への譲渡禁止、核軍縮の義務
・核非保有国・・・上記以外⇒核兵器の製造、取得の禁止。IAEAによる保障措置の受入義務。
・条約締結国の権利として、原子力の平和的利用を認める。


○1970年代中頃まで、共産圏を除けば、米国だけが商業用ウラン濃縮施設を持ち、世界への供給を行っていた。


○1977年 アメリカの核不拡散強化政策(PERTR計画)
→以前は、研究炉や試験炉においては高濃縮ウラン(U-235濃度90%以上)を使用していたが、核兵器に転用されやすいことを理由に、高濃縮ウランから低濃縮ウラン(同20%未満)への切替を主張。


○1991年 ソビエト連邦の崩壊
→冷戦の終結により、核兵器削減の機運が高まる。
旧ソ連の後を引き継いだロシアは、核兵器解体により生じる高濃縮プルトニウムや高濃縮ウランや、核兵器用に作られた余剰高濃縮プルトニウムや高濃縮ウランの処分という問題に直面する。
(世界に存在していると推定される高濃縮プルトニウムは約250トン、高濃縮ウランは約1,750トン。正確な数字はわからないが、1994年の時点でロシアが保有する高濃縮ウランは約1,250トンと推定されている。)


○1992年 ロシアの核兵器解体で回収される高濃縮ウラン(解体ウラン)500トンを、アメリカが向こう20年間にわたって買取することに合意。
→ウランについては原子力発電利用が世界的にも進んでいた為、高濃縮ウランを天然ウラン等で希釈(U-235濃度4.4%)した低濃縮ウランをアメリカが買取り、自国の原子力発電利用やウラン市場に放出する。
ロシアにとっても核燃料の処分と共に、外貨獲得というメリットがあった。
実際の売買は、アメリカ側は米国濃縮公社(USEC)、ロシア側はテクスナブエクスポルト(TENEX、ロシア原子力省が所管する輸出会社)の間で行われた。


○1996年 上記解体ウランの売買に関する実施契約の改定
→米USEC社は、今後は濃縮分離作業量のみを買取る事に変更した。
(ロシアから低濃縮ウランを受け取ると、その原料に相当する量の天然ウランを露TENEX社へ返却するというもの。露TENEX社はその天然ウランをカナダ、ドイツ、フランスへ転売した。)


○1998年 ロシアはフランス、ドイツの研究炉へ、高濃縮ウランの供給を開始。この頃ヨーロッパでの原子力発電開発も盛んになり、原子力発電向けウランの供給も計画され始めた。


○1998年米国は、ウラン濃縮を専門に行う公営企業体「アメリカウラン濃縮社(USEC)」を上場させた。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―

 核燃料製造の中核ともいうべきウラン濃縮サービスを世界規模で提供している企業は、現在4社しかありません。


・英、蘭、独が共同出資する「ウレンコ社」
・仏アレバ社の100%子会社「ユーロディフ社」
・「アメリカウラン濃縮社(USEC)」
・露国営原子力企業アトムエネルゴプロム傘下のウラン燃料会社「TENEX社」


 この中で、露TENEX社は世界最大のウラン濃縮サービスの供給能力を有しており、全世界のウラン濃縮能力の40~50%に相当します。
 しかも、ロシアの真下には、オーストラリアに次ぐ世界第二位のウラン埋蔵量を有し、政治経済的にもロシアと近いカザフスタンがあります。


 核燃料の製造から使用済み核燃料の再処理・再利用までの一連のサイクルを「核燃料サイクル」といい、ウラン鉱石の採掘や天然ウランの濃縮、核燃料の成型・加工といった核燃料製造にかかわる部分を「フロントエンド」と、再処理以降を「バックエンド」と呼びますが、現在この「フロントエンド」の部分で、ロシアが有利な位置にあるといえます。


 こうした状況の中、注目すべき出来事が「イラン核開発問題での米ロ接近」という出来事です。
 イランや北朝鮮の核開発問題に象徴される世界的な核拡散問題の深刻化を受けた、国際原子力機関(IAEA)+米ロを中心とした新たな核不拡散体制の構築の動きというのが、その内容です。


 1995年、ロシアはイラン南部のプシュール原発発電所のプラント建設支援に関する契約に調印しましたが、このときアメリカは、イランの核兵器開発に繋がるとしてこれに反対していました。
 ところが、2002年8月、イランがプシュール原発とは全く別ルートで、独自にウラン濃縮技術の獲得に着手していた事が明らかになると、米ロの立場は徐々に接近し始めました。


 以下は、東京財団「日露原子力協定締結は わが国の原子力政策の国際化に向けた第一歩 (2)」から引用させていただきました。

そんな中、03年10月、エルバラダイIAEA事務総長が英エコノミスト誌への寄稿記事の中で、核燃料サイクル技術の多国間管理構想を発表。「核の平和利用の拡大」と「核拡散の防止」を両立させるには、ウラン濃縮技術や使用済み核燃料の再処理技術といった核兵器開発に直結する核燃料サイクル技術は移転させない代わり、核燃料供給を保証し、また、使用済み核燃料の中間貯蔵・再処理といったバックエンドも管理する多国間の枠組みの構築が不可欠と主張した。

そして、04年8月、これを検討すべく、エルバラダイIAEA事務総長の諮問機関として、国際専門家グループが指名される。 その国際専門家グループが、05年2月22日に発表したのが、『核燃料サイクルの多国間アプローチ』報告書(以下、IAEA報告書)だった。

すると、その5日後の2月27日、ロシアはイランとの間で、自らがブシェールで建設支援する軽水炉型原子力発電所向けの核燃料供給協定を、使用済み核燃料の返還条項付きで締結する。これは、ロシアが建設支援するブシェール原発で使用する核燃料は必ずロシアから調達し、使用済み核燃料もロシアに返還するというもの。これこそは、IAEA報告書の中で言及された核燃料リース方式に基づく核燃料供給契約である。
ただし、核不拡散体制の再構築に関するIAEA並びに米露の連携が具体的に表面化するのは同年秋以降のことだった。まず、9月26日、ボドマン米エネルギー長官が第49回IAEA総会でのビデオ・スピーチで、「米エネルギー省は、17メートル・トンの高濃縮ウランをIAEAの核燃料供給に関する取り決めに用意する」と表明。また11月7日、エルバラダイIAEA事務総長が米カーネギー国際平和財団主催の不拡散問題に関する国際会議に出席。国際核燃料銀行構想を発表し、「既に、米露からの支持を得ている」と述べた。
また、翌06年1~2月にかけて、露プーチン大統領が国際核燃料サイクルセンター構想を、米ブッシュ大統領もこれと類似したグローバル・ニュークリア・エナジー・パートナーシップ(GNEP)構想をそれぞれ発表。ロシアは国際核燃料サイクルセンター構想の一環として、全ての参加メンバーに対し、ウラン濃縮サービスへの市場価格でのアクセス権を保証する国際ウラン濃縮センターの設立構想を発表し、独自のウラン濃縮技術の獲得を目指すイランに対して、同構想への参加を呼び掛けた。そして、06年7月、米露は、上記2構想を統合すべく、遂に二国間の原子力協力協定の締結交渉開始で合意した。
なお、国際核燃料サイクルセンター構想の将来ビジョンの中には、ロシア国内に使用済み核燃料を貯蔵・管理する国際センターを設立する計画も含まれている。ロシアは世界最大のウラン濃縮能力を持つだけではなく、イランとの核燃料リース契約への調印からも明らかなように、将来的な再処理を前提とした中間貯蔵という形ながら、他国から使用済み核燃料を引き受ける可能性を有する唯一の国なのだ。
アメリカをはじめとする国際社会が、今後、「原子力の平和利用」と「核拡散の防止」を両立させるべく、新たな不拡散体制の構築に着手する場合、ここにどうしてもロシアを関与させなくてはならない理由の一つはここにある。

以上、引用終わり。


 このように原子力システムに必要不可欠な、核燃料サイクルにおけるフロントエンドとバックエンドを牛耳る事で、原子力という資源の覇権を握ろうとするシナリオが垣間見れます。
 ただ、現時点ではロシアがかなり優位な立場にあるため、アメリカとしてはロシアとの協力関係を深めながら様子を伺っているという状況ではないでしょうか。


 このことは、2008年に「米ロ戦略枠組合意」で濃縮ウランビジネスの棲み分け(低濃縮ウランはロシア、高濃縮ウラン(おそらく研究炉用)は米国)を行ったということからも推察できます。


(参考HP)
原子力百科事典ATOMICA (リンク)
「東京財団」 (リンク)

コメント

日本の原子力行政は、中曽根と正力コンビ(アメリカの手先か?)によって推進されたといえるかもしれません。「我が国における原子力行政の闇」の部分であり、以下、二人の動きを「日本に於ける原子力政策史」リンクから紹介します。


<引用開始>

【中曽根-正力ラインによる原子力予算上程までの動き】

1945.8.6日、中曽根康弘は4高松で広島のきのこ雲を遠望した。この時次のように思ったと云う。  「私が戦争中海軍に動員されて高松にいた時、広島の原爆雲を見た。この時私は、次の時代は原子力の時代になると直感した」(中曽根康弘「政治と人生―中曽根康弘回顧録」講談社)

 1953年、復員後政治家になった中曽根に、マッカーサー司令部のCIC(対敵国諜報部隊)に所属していたコールトンが接近し、ハーバード大学で開催されたキッシンジャーの主催するセミナーに招聘した。この時、中曽根はネオ・シオニズムの黒子であるキッシンジャーに認められ、将来の出世と権力が保証されるエージェント契約を結んだ形跡がある。

 セミナーの帰路、中曽根は、コロンビア大学に留学していた旭硝子ニューヨーク駐在員の山本英雄に会って原子力の情報を仕入れた。山本は、次のように述べている。  「彼はとりわけ原子力兵器、しかも小型の核兵器開発に興味を持っていました。中曽根氏は再軍備論者でしたから、将来、日本も核兵器が必要になると考えていたのかも知れません」。

 帰国後中曽根は、川崎秀二、椎熊三郎、桜内義雄、稲葉修、際等憲三などと諮り、原子力予算の準備を始めた。当時中曽根は改進党に属していたが、自由党は過半数を割っており、改進党などの同意無く予算審議を進めることはできなかった。改進党の修正予算規模は50億円、そのうち原子力関係として3億円を提示し、3.1日の三党折衝であっさりと承認された。

 1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された。両院議員総会で、科学技術研究助成費のうち、原子力平和的利用研究費補助金2億3500万円、ウラニウム資源調査費1500万円、計2億500万円の予算案提出の合意に達し、予算の名称は「原子炉築造のための基礎研究費及び調査費」と決定した。翌3.3日の衆議院予算委員会に、全く突如として自由党・改進党・日本自由党の三党共同修正案として提出され、3.4日の衆議院本会議で提案趣旨説明が行われ、予算案は修正案も含めて一括採択された。

 1954.4月、予算案が可決され、「原子炉築造のための基礎研究費及び調査費」(この時の原子力予算は235億円ともある)。が認められた。以降、日本の原子力政策は巨額の税金を「利権として吸い上げる」構造的汚職の巣窟と化して行くことになる。

【中曽根-正力ラインによる原子力行政推進考】

 中曽根のこの動きを背後で操っていたのが読売新聞の社主・正力松太郎である。(正力履歴については、木村愛二氏の「読売新聞・歴史検証」、れんだいこの「読売新聞社史考」を参照すべし)

 正力は、戦後、戦犯として訴追され、政治生命を断たれた。その正力が戦犯解除されるに当たってCIAとエージェント取引したことが考えられる。同じような経緯で取引した者に戦前の特務機関系右翼・児玉誉士夫がいる。岸にもこの臭いがある。

 正力は、戦犯訴追解除後、古巣の読売新聞社に復帰し、その後衆議院議員になり、日本テレビ放送網社長、第2次岸内閣の原子力委員会議長、科学技術庁長官を務めている。初代の原子力委員会委員長に就任していくことになる。

 この正力の意向を受け、「1954.3.2日、中曽根康弘によって日本の国会に始めて原子力予算が上程された」と考えられる。以来、中曽根と正力は、政界における原発推進の両輪となって動いてきたという経過がある。中曾根と読売新聞社の関係にはただならぬものがある。(これに日共の宮顕を加えれば「闇のトライアングル」を形成している、と云える。ここではこの件の考察はしない)

 正力-児玉誉士夫-中曽根ラインは、CIAコネクションを形成する。そこから政官財三界に巨大原子力推進人脈が形成されている。これは軍事利権人脈ともほぼ重なっている。この連中がピラニアのように軍事防衛、原発利権に群がり、国家を私物化しつつ食い尽くして行くことになる。まさに「権力を私する魑魅魍魎の妖怪ども」である。

<引用終了>

  • norio  2009年11月07日 22:53

norioさん、コメントありがとうございます。

戦後すぐから日本も原子力利権の獲得に動き出していたのですね。

現在では、東芝や日立がアメリカの原子力プラントメーカーを買収するなど、原子力の利権争いも国際的になっていますが、今後の日本がどういう方向に進んでいくのか注目していく必要がありそうです。

一緒に勉強していきましょう!

  • minezo 2009年11月21日 23:28

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