2009年11月07日
「経済学って、本当に正しいの?」6 ~GDPってどうなん?~
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http://item.rakuten.co.jp/book/5818879/
みなさん、こんにちは!!!
今回はこれまでお送りしている「経済学って、本当に正しいの?」シリーズの第6弾です!
第5弾では、経済学の概略史を紹介し、流れを掴むことで「経済学」とは、まさに「市場拡大」を目的として作られてきたものであることがわかりました。
今回はその中心概念である「GDP」について詳しく調べていってみたいと思います。
その前に・・・・まず、前回の経済学概略史の復習をしましょう!!!
そしてその前に・・・・
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経済学の歴史
【経済学概略史メモ】
略奪貿易
オランダ・スペインが主に行っていたまさに読んで字のごとく略奪による貿易。
代表的にはアフリカからの奴隷貿易が上げられる。
重商主義・重金主義
国を挙げておこなった略奪貿易。イギリスによる清へのアヘン売りつけなど。
18C後半:古典派(アダムスミス)
重農的市場主義(土地+労働力) → 労働価値説(マルクス)
重商主義・重金主義に対してある意味の理想論的な考え方。農を主とした生産体(土
地+労働力)に市場の可能性があるとした考え方。しかし・・・。18世紀半ばに起
こった産業革命の影響で生産手段は農業から工業へ移行。
次第に実態と数値があわなくなっていった。
19C後半:新古典派(リカード、ワルラス)(限界効用)
工業生産によって物が大量に出回ると、人々はよりよいもの(付加価値の高い)を求
めるようになった。ここでは「人はより充足度の高いものを求める」と定義された。
「品質」等ではなくあえて「充足度」といった言葉で表現されているのはそこに快美
性が残されていることを意味しているのではないか。
20C前半:ケインズ理論(有効需要の原理)→大きな政府=需要の創出
市場拡大の停止したことを受けて、政府を市場に介入させることで無理やりに需要を
拡大させた。その結果、国家は赤字財政となった。
不確実性の時代(スタグフレーション)
20C後半に入り、政府の介入でもいよいよ市場拡大の限界が見え始めた。金融商品が
出回り、実態とは遊離した経済バブルの時代となった。国際金融資本たちは、戦争や
オイルショックなど社会的な不安定状況を作り出した。そのような状況の変化を正当
化する為の論理として「不確実性」などということばで説明した時代。
21C:新市場主義
規制緩和を行って、市場を流通するマネーを増大させた言わば金融バブルの時代。2
008年、米リーマンショックによっていよいよ金融経済が終焉を迎えた
と、経済学の大きな流れは上記のようになります。各時代の背景、具体的な事象が少し分かりやすくなったかと思います。
ではでは、GDPってそもそも何の目的でいつごろ誕生したのでしょうか?
いい記事見つけたので読んでみてください!
↓↓↓以下です。
では、そもそもGDPの起源はどこにあるのか?市場が国家にカビとして共生していくプロセスは、いつごろ始まったのか?そのルーツは「国民所得」の歴史に見てとれます。>国民所得の計算は、17世紀にイギリスとフランスにおいて始まった。
1665年には、イギリスの William Pety が最初の所得推計を行っており、その後多くの人によって、推計がなされている。 1843年には George Tucker によって、アメリカの所得推計が始めてなされている。19世紀末には、ヨーロッパ数多くの公的推計がなされており、'90年代にはオーストラリアで年々の公的推計統計が発表されている。20世紀には、戦争支出のために生産、投資、貯蓄、消費の概念が重要視されるようになり、国民所得推計のための多くの統計が収集された。アメリカでは Simon Kuznets が、イギリスでは Colin Clark が生産、市場そして国民所得に関する研究を行った。 1929年の恐慌に続き、J. M. Keynes により、マクロ経済学に新たな方向付けがなされ、国民所得勘定の重要性が増した。 第2次世界大戦後には総合的な研究が進められている。
1944年にはアメリカ、イギリス、カナダが所得勘定の共通的定義を定めた。さらに、1949年及び1952年には、国民所得勘定体系 (SNA) が刊行されている。国連は、1968年及び1992年にこの体系を再整理しており、国際基準となっている。なお、さらに再検討がなされているところである。<(リンクより)つまりこのプロセスとは、(市場の支配者の手先である)近代経済学者たちの手によって、本来国家の寄生物であったはずの市場の「共生・取引原理」のもとに、国家の「集団・統合原理」が無理やり取り込まれていく過程であった、と言えるのではないでしょうか。
17世紀にイギリス・フランスの国民所得を算出するために誕生した概念だったんですね!(これは筆者も気づきでした。) ちょいと余談ですが・・・、何のために国民所得を計算する必要があったのか???と疑問がわいてきますよね。 それは恐らく・・・・戦費を借金するときの条件として必要だったのでは???と考えられます。 GDPを計算することで「これだけ国民所得がありますよ!」ってのがわかると「金貸し」のみなさんにもお金を借りやすいですし。
えーーー、ちょっと脱線しましたが。
ということで「GDP」は上記の通り、ケインズによって経済学上重要な概念として方向づけられてきました。
今や当たり前に用いる「GDP」。 ロシアでは、原油価格の高騰を受けてGDPは急成長したり・・・、一方中国では、地方行政がGDP数値を水増しするなど、今や国際的に非常に重要な指標となっています・・・。 でもでも、この指標って実際何を示しているのでしょうか?豊かさ?国力?それとも???という単純な疑問が沸々とわいてきますよね!?
以下、記事を紹介します。
>市場経済というのは、なんであれ本源的な価値を回復の見込みがなくなるまで「破壊」あるいは「分解」しておいて、その断片を切り売りすることがあたかも価値の「創造」であるかのような一種の詐欺を続けてきたのではないでしょうか。>だから、見かけの富は増えるのだけれども、それは孤独や不安といった猛烈な精神上の不全感や、増大する社会問題や制度的欠陥、非合理や非効率さと一体であったのです。
確かに阪本さんの指摘の通りだと思います。例えば市場拡大を示す数字としてのGDPですが、それが増えるとその国が豊かななる、そして新たな価値の創造ができているように見られます。しかし、それは価値の創造でもなんでもなく、単に国の把握している範囲での金の流れが増えていることを意味するにしか過ぎません。具体的には日本の地方の町で毎月何回か市が開かれてものが流通してもほとんどGDPは増えませんが、それでも十分な暮らしが可能ですし、地方では地域のコミュニティー、相互扶助があるので安心して暮らせます。むしろ逆に都市のような場所で賃金以外に収入の見込みがなく、かつコンビ二のような場所でしかモノを購入できなくする(つまり正確に金の流れが把握できる)ことでむしろGDPを増やします。
また、都市ではほぼ地域のコミュニティーが壊れていますからそこに例えば介護事業が入ってくることでさらにGDPを増やします。つまりGDPはむしろ生活の現金化を示す指標であると考えた方がいいのでしょう。そのことが意味するのは、人々の伝統的な暮らし(本源価値)を壊したことと同時に、実は人々の生活の幅が狭められてことを最もよく表す指標だと思います。まさにこのようなの経済指標の数値そのものが、「破壊」しておいて、その断片を切り売りすることがあたかも価値の「創造」であるかのように見せかけている詐欺の一役を担っていると思います。(参考:環境破壊のメカズム 田中優)
GDPとは、あくまで「金の流れ」を示す数値。上記の記事中の「破壊して断片を切り売りしている=生活の現金化」というところが本質を言い当てているような気がします。あらゆる行為を市場化すると金の流通は増加し、市場は一見拡大します。例えば極端な話、家族内でも食事を作ってくれるお母さんに子供たちがお金を払えばそれで市場拡大に繋がります。。。。なんて悲しいことでしょうか・・・・。
原始人類は、共同体においてお互いに課題を共認し、役割を共認し、評価を共認してきました。そのような社会では「期待⇔応望」を幹として、みんなで生きる場(社会)をつくり、充足をともにしてきたと思います。市場拡大を目的とした「経済学」は何でもかんでも切り売りし、本源価値そのものを破壊してしまったことになります。結果人々の繋がりからくる充足度はどんどん低下していきました。GDPは豊かさを示すのでしょうか????甚だ疑問に思えてきますね!?
次回は、「GDPと満足度の関係、そして国民や政治家の思い」について詳しく追求していきます。お楽しみに!!!!!!
- by watasin at 23:55



コメント
GDP(国内総生産)とは国内の生産活動を数字として表し、景気を測るものさしとして
利用されています。
しかし、単に市場で取引したものを合計して計算するだけなので、市場で売買されない
政府やNPOのサービス、ボランティア、環境、主婦労働等は計算に含まれません。
この定義だと全ての活動を市場に乗せればGDPは上昇することになります。
つまり、家庭や村落共同体など集団内で行なわれている期待⇔応合の行為を分断し
商取引の行為にすればGDPがアップします。
このように捉えると、GDPとは集団の解体度を表す指標と言えそうです。
GDPとは集団の解体度
ってことは日本は1970年から2倍以上になっているけれどそれだけ集団が解体されたってことなんですね。
⇒GDPグラフhttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4545.html
そういえば、教育も介護も家庭や地域でお金をかけずに出来る事ってホントなくなっている気がします。
此処ではフレデリックハイエクFriedrich von HayekやミルトンフリードマンMilton Friedman、アインランドAyn Rand等の“レーゼーフェア”自由市場経済資本主義とかネオリベラルとか色々な名称で呼ばれている無法状態資本主義(何故なら、彼等は資本主義活動に対する法律の必要性を認めていないから)の経済への悪影響の話が無いようですが?
“1929年に始まった恐慌同様、現在、2008年からの金融危機から始まった経済後退もサッチャー、レーガン時代から続いて来た経済無法状態で作り出された不自然な経済発展(特にアメリカではクリントン政権時グラススティーガル条令Glass-Steagall Actが廃止され、異常な金融資本による経済支配が強まり)による矛盾が表面化した。”事が現在の問題だと説明されて居る様ですが。
天仙さん、コメントありがとうございます!
>このように捉えると、GDPとは集団の解体度を表す指標と言えそうです。
うんうん、まさにその通りだと思います!
GDPとは豊かさや満足度といった表現が頭に浮かびますが・・・実態は人々のつながりを引き裂いている元凶なのではないでしょうか・・・。
>ってことは日本は1970年から2倍以上になっているけれどそれだけ集団が解体されたってことなんですね。
なるほどーーー。
興味深いデータ。。。
それだけ、集団が解体されたと思うとゾッとしますね。
>そういえば、教育も介護も家庭や地域でお金をかけずに出来る事ってホントなくなっている気がします。
何をやるにもお金がかかるのは日々の生活でも実感します。気づくと結構かかっていますよね・・。「市場拡大=GDP増大」という経済学の仕業でこうなっているのは今回の大きな気づきです。
フリードマンは無法状態資本主義ではないです。
資本主義が無制限に活動可能なように、資本主義的経済活動を制限する行為を禁止するためには政府の介入が必要だ、と言っているみたいです。
仰るとおりかも知れませんね。其れはファシズムですね。私は其処まで言いたくなかったのですが、其処までハッキリ言われると同意しないといけませんね。---------と言うのも南米チリからのミルトンフリードマンのシカゴ大学での教え子達は米中央情報局の後押しによるピノチェットのアイェンデ政権に対する軍事クーデターの後、ピノチェット政権で経済を担当した所謂“シカゴボーイズ”と言われた人々ですが完全なミルトン流の“レゼーフェア”自由市場経済資本主義で“規制緩和”“民営化”でチリ経済を破局に落としいれピノチェット政権は後にアイェンデ政権の経済政策の一部再採用と言う羽目に追いやられたと言う歴史はミルトンフリードマンの自由市場経済資本主義が現実には機能しない最も良い歴史的例だと言う事です。
ミルトンはニクソンの経済顧問だったのですが、ニクソンはミルトンフリードマンの言う事を聞くと再選が危ないと考えミルトンの助言は聞かなかったと言う事です。ミルトンも不満だったようです。ニクソンがヤバイと考えるほどの経済思想ですからかなりヤバイ経済思想なんだろうと思いますよ。
ミルトンはレーガンからジョージブッシュ政権まで続いたネオリベラル経済主義の基本思想を提供した経済学者だとアメリカでは言われていて、ノーベル経済賞はハイエクとミルトンが受賞しているのでアメリカではレジオの経済評論番組等で良く笑い話の種になっています。元々ノーベル経済学賞は存在せず1968年にスエーデンの銀行によって新しく追加された賞ですから怪しい物ですよね。銀行屋が設立した物には何だか臭い裏がありそうですよね。