2009年11月27日
『これからの消費はどうなる?』9【Final】~消費をしない生き方~
消費シリーズも9回目。実は、今回がファイナル
になります。
最後は、これからの消費のあり方について、実にシンプルな提言を紹介します。
消費について、なんだかんだと書いてきましたが、少し考え方を変えるだけで、なんてことはない、(経済破局も含めて)これからの社会を生き抜くすべが見えてきます。
るいネット「レッツ・ダウンサイジング~簡単なんだよ生活レベルを下げるなんて」より
また、内田先生の素敵な文章です。 そう、これから日本は、本来望まれるべき方向へ進めるチャンスなんです。内田樹の研究室リンクより
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日本社会がこれから採用する基本戦略は「ダウンサイジング」である。
平川くんのリナックス・カフェではこのところ「企業のダウンサイジング支援」というのが主力のサービスだそうである。
巨大なオフィスを引き払って狭いオフィスに移り、ネットワークを簡略化し、商いのスケールを縮めるためのノウハウを「教えてください」とお客が列をなす時代なのである。
企業は「縮む」ということについてノウハウを持っていない。
ひさしく資本主義企業は「巨大化する」か「つぶれる」かの二者択一であり、「現状維持」とか「ダウンサイジングによる安定の回復」ということは経営者のオプションには含まれていなかったからである。
彼らが「ダウンサイジング」というときに想像するのは、「労賃の切り下げ」とか「レイオフ」とか「非正規雇用への切り替え」といった雇用調整戦略か、「別社化」や「アウトソーシング」による採算不芳部門の切り離しか、下請けや仕入れ先からの「コストカット」などの「ハード」な戦略だけである。例えば、「少子化問題」というのは幻想的なかたちでしか存在しない。
「人口が右肩上がりで増え続けることを想定して作られたビジネスモデル以外の生存戦略はありえない」と信じている人間の脳内だけに「少子化問題」は存在する。「自分の食べる分のパン」の量をあらかじめ決めており、それを「神聖不可侵」の権利だと信じている人間の眼にだけ市場の縮小は危機的なものに見える。
けれども、「自分の食べる分のパン」を抑制する術を知っている人間にとっては市場の減少や人口減や経済活動の失速は「いつか見た風景」である。かつて小さな市場、乏しい人口、ぱっとしない経済活動の下でも、私たちの父祖たちはそれなりに快適に威厳をもって社会生活を営んできた。
どうして、私たちに限ってそれができないと断定できるのか。
経済条件の切り下げによって、人間はたちまちその矜恃を失い、生きる希望まで失うということがメディアでは「当然」のように語られる。
失職した人間や労働条件を切り下げられた人間がどれほどみじめで、どれほど絶望的な状況になるかをメディアは毎日のようにこわばった筆致で報道している。
そうすることでメディアの諸君は何をなしとげようとしているのか。
彼らを支援しているつもりなのだろうか。
私にはよくわからない。よく人々は「一度生活レベルを上げると、下げることができない」という言葉を口にする。
その言葉は実感の裏付けがあって言われているのか。
私は違うと思う。
一度も「生活レベルを下げる」という経験をしたことのない人間がそういうことを断言できるのは、「みんながそう言っている」からというだけのことである。
「一度生活レベルを上げると、下げることができない」というのは資本主義市場が消費者の無意識に刷り込み続けてきた「妄想」である。そう信じているせいで、人々は給料が減ると、アイフルやプロミスから金を借りてまで「今の生活レベル」を維持しようとする。金を借りることを合理化できるのは、「いずれ給料が上がる」と(無根拠だとわかっていながら)信じたがっているからである。
そうやって市場における貨幣の流動性は高まり、商品取引は活性化し、その代償に人々は自己破産や夜逃げや自殺に追い込まれてゆく(同じロジックでサブプライムローンも破綻した)。私はこれまで何度も「生活レベルを下げた」ことがある。
仕事がなくなると収入が減る。収入の内側に生活レベルを下方修正する。同じ貧しい仲間たちと相互扶助、相互支援のネットワークを構築する。
だから、私はどんなに貧乏なときも、きわめて愉快に過ごしてきた。
「今の生活レベル」などはいくらでも乱高下するものである。
そんなことで一喜一憂するのはおろかなことだ。
自分の今の収入で賄える生活をする。
それが生きる基本である。
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いかがでしたか?
「生活レベルを下げる」というと、ちょっと避けたくなりますが、それは市場に踊らされた妄想。
この投稿を読んで、現状でも生活レベルの改善が十分出来ることは、周りの仲間とも話して納得でした。
そして生活レベル≠消費量だということ。
消費をせずとも生活を豊かにしていく。
これが、これからの時代を生きていく方向だと思います。
これにて、消費シリーズは一旦、終了しますが、まだまだ消費、経済の追求は続きます。
当ブログ、そして、るいネット掲示板「これからの消費はどうなるの?」をこれからも注目して下さい。
それでは
- by vaio at 22:35 in 01.世界恐慌、日本は?



コメント
ゲルト・タイセンの「イエス運動の社会学」で覚えているのは、「貧乏が怖いのでなく、今のレベルより落ちるのが怖い。」と言う所だけです。
どこかのブログにありました。「世界中の人々が現在のアメリカ並の生活をするには地球が6個必要だ。」
それでは、日本人全部が今の生活を維持するには日本列島がいくつ必要でしょうか。
江戸時代は、飢饉、餓死、~ ~で、人口が3000万に押さえられていたのですから。
そもそもそんなに固執するほど良い生活は普通の人はしてないヨ。
そこに拘っているのは、裕福な人たちさ。今の生活をどうしても守りたいのは、いわゆる特権階級だね。失うものが大きいから。
その代表が、資本家とかマスコミとかかな?政治家や財閥なんてのも・・・
「今の生活を守ろう!」的なことはマスコミの扇動なんじゃね?みんなはそういわれればそれにこしたことはないのでまずは賛成はするけど、「(持てる者の)今の生活を守ろう!」だと気付けば、アホらしくて賛同できない。破局で彼らが落ちぶれるってことがわかれば見方も変わるってもんで・・・
つきつめるとそういう発想に至るんでしょうが・・・
ある人が生活水準を下げることによって、職を失い、水準どころか基盤すらなくなるひとも出てきます。
その先にはどういう世界が待っているのでしょうか?
仮に19世紀の農民のような生活になってもよしというのでしょうか・・・
確かに、人間の欲は醜く汚いもので強くしつこいものです。
時々気持ちが悪くすらなるものです。
ですが、そのようなあくなき欲求への希求があってこそ、人類はここまで発展してきた訳です。
おそらく、それを否定するわけでなく、分相応?に暮らそうよという主張なんでしょうね。
素晴らしいとは思います。
しかし、私には人類の営みを根本から否定するような行為に見えて仕方ありませんが・・・
事業仕分けのときにもありましたが、1番を狙わずに2番でいいじゃないか的な、お花畑妄言的囁きに聞こえてしまうんですよね。
先人達が欲をむき出しにして何とか勝ち得た技術を、より向上させる努力を放棄し、自らは手を汚さず、そういう行いを卑下しつつ奇麗事を抜かして、あたかも当たり前に存在するかのように利用する。
極論ですが、そんな風に見えなくもないかなとw
私は今の日本人の平均的な生活レベルは極めて恵まれていると思っています。
これは先達が経済戦争で勝ち取ってくれたものです。
国民の意思で経済戦争も放棄するというのなら、生活が困窮しても文句は言えませんよね。
日本は消費を減らして経済を縮小していく一方で、日本には資源がないので、海外向けの高品質の製品を作り続け、外国人さまに消費してもらわなければならない。
日本人はそれを恨めしく思いながら、慎ましい生活を余儀なくされる。
ちょうど東アジアの国々のような状況です。
自ら選択したのなら納得しなければいけません。
もちろん江戸時代の鎖国状態に戻れば、輸出も必要ないですので、他国を恨めしく思う必要もありませんが、どういう生活水準になるかは想像できますでしょうか・・・
結果的に全否定するようなことを書いてしまいましたが、けなすつもりはないんです。
こういうことまで考えているのかな?と疑問に思ったまでです。
私自身も、資本主義経済の拡大・膨張志向には疑問をもっているのですが、今のところ「これって人類の欲望システムそのものじゃん!」っていう状況ですw