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2010年02月23日

自主管理への招待(5) ~否定し要求するだけの「閉塞の哲学」から、実現対象を獲得した「解放の哲学」へ~

「人間と社会の存在の本質を成しているのは、生産と労働である」というのは、近代思想に慣れ親しんだ現代人にとっては、目から鱗の名言です。

現実否定の近代思想から脱却し、現実に立脚した新しい認識へと転換していくことが求められます。

 自主管理への招待(4)「頭の中だけの自己」から「実現対象」への追求ベクトルの転換より 


生産の主体が工業生産から意識生産に転換して40年が過ぎようとしています。この間に、人々は自己から社会に目を向けなおす必要がありました。しかし、人々は奴隷的存在でいることに甘んじたままでいます。
「豊かな消費生活」を追い求め、疎外労働に従事してきた労働者は「豊かさ」が実現した現在もなお、消費のために労働を切り売りする奴隷生活を続けているのです。

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現代人に染みついている近代思想は現実(=社会)を否定し、非現実的な観念の内側に人々を幽閉してしまうもので、人々の働く気力を失わせ、人々が自ら社会に目を向けて良くしていこうとする力をそぎ落とすことにのみ、有効に働いたのでした。
そのことは、現代社会の統合階級が獲得した私権を失わないために大変都合のよい共認ツールだったのでした。

さてそこから抜け出すには、なにを拠りどころにすればよいのでしょうか。


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るいネット 【自主管理への招待(5)】より転載します。


社会の生産が変わる時、社会に深く根を下してきた思想もまた変わるしかない。工業生産の時代を支配してきた近代個人主義は、その対象性の欠如の故に、肥大化するエゴを制御し得なくなり、衰弱してゆく社会を蘇生させる力を失った。換言すれば、近代の主体は、奴隷的存在から脱却できなかったが故に、未だ存在の実現を射程内に納め得ない歴史段階にあったのだと言えよう。
しかし、人間が武力によって支配され、あるいは資本力によって支配されてきた人類二千年の歴史は、いま大きな転機を迎えようとしている。工業生産から意識生産への生産力の転換がそれである。


(生産の主体は工業生産から意識生産に転換し、すでに40年が過ぎた)

意識生産は、人間の労働力そのものが、生産の主役と成り、社会の主人公と成る事を求める。そこで求められているのは、自己の奴隷性から目を外らせて「個人」幻想の中をさまよう事ではなく、明白に奴隷(雇われ人)からの脱出に向けて自己変革を計る事であり、現実の活動能力の貧弱さとはうらはらに自意識だけを肥大化させる事ではなく、現実を生きてゆく豊かな能力を獲得してゆく事である。要するに重要なのは、自己の現実の存在とは別の所(非存在の世界)に己を暖め続ける事ではなく、自己の獲得してきた意識と能力のすべてをこの現実の中に投入して、現実を突き抜けてゆく事であり、その導きの糸となるのは〈自己から対象へ〉の認識のベクトルの転換である。

もっとも、認識の方向を自己から対象へと転換させるだけでは充分ではない。自分にとって敵対的な「社会」だけを取り出し、それを体系化して否定することはたやすい。しかし、その「社会」体系は否定一方に歪小化された社会でしかない。否定は、未在の何かであるに過ぎず、その背後に潜む価値が実現されるのでなければ否定は(頭の中以外には)はじめから存在しなかったのと同じである。従って、否定がいつまでも否定のままで過ぎてゆく時(そうしてすでに百年も過ぎてきた!)、現実には決して存在しない否定世界の内に全ての内的価値が閉じ込められて終うことによって、現実そのものは何ひとつ変革されることなく、その否定の主体とは無関係に動き続ける。そして、否定している自分だけが、ひとり現実から取り残されてゆくのである。この否定の構造が、宗教のそれである事は、もはや繰り返すまでもないだろう


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(“豊かな”生活とひきかえに奴隷的存在に甘んじる現代人)

このような意識構造は、はじめから自己の現実を変革する必要のない(現実を否定しているだけでも生きてゆける)人々に、おあつらえの「思想」的舞台を与えてきた。

しかし、他人事ではなく、自分自身の切迫した問題を抱えた人間は、単なる否定の段階に留っている事はできない。本当に現実に解決を迫られた人間は、現実の中に解答を求めるしかない。変革=実現を求める現実の主体は、敵対的な状況の壁に何度もはね返されながら、その否定的な対象のさらに根底に、実現を可能ならしめる地平を探り続けてゆく。


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(実現可能性が見えてくると活力がわいてくる)

こうして、自己の現実とその対象世界を見つめ続ける認識の錐が、否定の目に覆われた「社会体系」を突き破り、遂に自己を実現し得る肯定的な社会構造の地平に至る時、従来の否定に貫かれた〈閉塞の哲学〉は、はじめて否定そのものを否定し、実現対象を獲得した〈解放の哲学〉へと超克されてゆくのである


現実否定からはなにも実現しない。
現実を肯定して対象を注視し、背後にある社会構造を正確にとらえたとき、はじめて実現可能性が芽吹いてきます。


(るいネット【図解】自主管理への招待(5))


否定するだけで「活動した」つもりになるのはもはや論外で、否定そのものを否定し、対象から目をそらさず、 「構造認識」から「答え」を導き出す。
社会変革という命題に限らず、何事においても「実現する」とはこの様な思考によってのみもたらされることは言うまでもないでしょう。

次稿はその「実現思考」について論を進めます。
『自主管理への招待(6) 実現思考とは何か』ご期待ください。

コメント

現実社会を対象化することで自分自身が自在に変化できるようになる。

それ自体が、分断化された思考や、仕事で、周りのことを考えない奴隷的やり方からの脱出につながるのだと感じました。

  • shijimi 2010年02月23日 23:50

『仕事とは、社会への奉仕として「楽しむ」もの』

日本人の仕事観でもあるこのスタンスに立つことが、〈自己から対象へ〉の認識のベクトルの転換の出発点かなと思います。

  • watami 2010年02月25日 22:08

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