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2010年07月17日

シリーズ「市場は環境を守れない、社会を統合できない」6~自己中と市場~

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こんにちは m022

シリーズ6回目の今回は、現代人の心のどこかに潜んでいる「自己中」意識と、環境破壊の関連性についてお伝えします。
このシリーズ序盤の記事でお伝えした「環境保護主義」が、支配層の企てによるものであり、「環境問題」が市場拡大のネタになっている事ともリンクしてきます。
その記事も参照していただき、読み進めていただくと有り難いです m022
  ↓ ↓ ↓
シリーズ「市場は環境を守れない、社会を統合できない」2~環境保護主義が盛んになったのはなんで?
シリーズ「市場は環境を守れない、社会を統合できない」4~市場支配のための「緑の革命」

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m023 いつも応援ありがとうございます m023

「オレのモノなんだから、それをオレがどうしようが、オレの勝手だろ」この原理が世界を破滅に導いている (←「るいネット」の記事を紹介します)

>それは所有・保有さえしていれば、どんな人格的欠陥者であろうが、精神に異常を来たしいようが、そんなことは一切関係なく最も発言権があり、行使する権限があり・・・(Silentservice氏の記事から)

私権時代の根幹にある、この原理が、実は決定的に世界を崩壊させる方向に導いていることに最近気が付いた。 

註)私権時代
私権とは、私的権益あるいは私的権限を略したもの。人類史の過去3000年は財(金)、地位、異性(女)など、全てが私権の対象となっていた。その結果過去3000年間は、誰もが私権の獲得=私権闘争に収束することによって統合される私権統合の社会となった。
(正確には私権闘争は、力=私権の強いものに弱いものが従う序列原理によって統合されており、そうような時代をここでは私権時代と呼ぶ。)貧困が消滅して以降、私権を求める欠乏や私権価値や私権闘争は衰弱を続けている。


例えば、「私有」という概念を持たない先住民族は、生活の場であり生活の糧になっている森林をどう扱うか。

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森林が豊かだからこそ木の実や果物が採れる事を彼らは知っている。樹木があるからこそ水源は保たれ、狩りの対象の獣たちも生きていけることを。仮に樹を一気に斬って無くしてしてしまえば、自分たちや子孫が生きていけなくなる事を彼らは知っている。

自然のあらゆる対象と対話しながら、そこに垣間見える摂理に従って生きていくだろう。


しかし私権時代の人間はまったく異なる。

北米の森林は別の場所からやってきた欧米人の「所有物」になってからこんなことになった。

樹が高く売れるなら、そこに生えている樹を残らず伐採して売り飛ばす。下草を焼き払ってカネになる作物を植える(奴隷を使ってor労働者を雇って植えさせる)。カネになる動物は絶滅寸前まで狩り尽される。作物の育ちが悪くなれば、化学肥料をしこたまぶち込んで生産性を上げる。そのうち水源が枯れ、土が劣化して何も育たなくなれば(カネを生まなくなれば)うち捨てられる。そうやって砂漠が広がっていく。その後、その土地がどうなろうと知ったことではない。

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そこに働いているのは「オレのモノなんだから、オレがそれをどうしようが、オレの勝手だろ」という意識である。

この価値観を持つ、その土地に住んでいない第三者がその土地を「私有」する限り、必然的に、その土地が持つ「カネになる」部分だけが収奪され、劣化させられた残りカスだけがうち捨てられていく。これは必然である。そうやって積もり積もって、地球全体で生態系は破壊され砂漠は増え、大気や水が汚染され、多くの生物が棲めなくなって絶滅し、最後は人類自らも生きていけないような環境になりつつある。

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このような狂った状況を生み出したスタート地点。

それは「個人が所有する」という価値観。つまり「所有したものは、所有者がそれをどうしようが所有者の自由である」という価値観自体である。

その価値観は、少なくとも結果を見る限り、自然の摂理に反しており、絶対的に誤っているということは明らかであろう。

では、どうすればよいのだろうか。
その土地や環境にこれからも棲み続けるような「集団」(その土地を自分たちの一部であると感じることのできる集団)を単位としてその土地を管理し、所有者個人の自由にさせないようなシステムを創りあげることが最低でも必要であろう。それができない限りは、どんなゴマカシの手を打とうが、力を持つ一部の自己中の手によって地球のあらゆる生態系が破壊され尽くされるのは原理的に止められないと考えられる。

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そもそも始原人類(先住民族)が持ち得なかった「私有」という概念は、一体いつから、一体どこで発生したのだろうか? そして、なんで「私有」という概念が当たり前の常識となっているのでしょうか?

それは、本源的な共同体が次々と駆逐されるに至った、略奪闘争の発生起源である約6000年前、乾燥期のイラン高原、遊牧民族に遡ります。
(詳しくはこちらを↓↓)
女移籍の持参財が私有意識の原点
掠奪闘争が私有婚を一般化させていった

まずは、『オレが!オレが!』という自分第一(自集団第一)の自己中意識の発生起源として、「私有」「所有」という自己中の正当化に繋がる概念の起源や根本構造を理解し、その上で現実を直視し、その歪みを再認識することが、これからの可能性を探る土台になるでしょう。

そして、個人の「自己中」意識も、何らかの圧力で封印していく必要があります。(それは既に、現在形で「KY」や「モンスターペアレンツ」に対する世間の白い目圧力として顕在化しているように見えます)

加えて、現代的な環境問題に関しては、まず「自然の摂理」を理解し、「事実」を把握することが、その解決の一歩目として必要でしょう。(←現在マスコミを通して垂れ流される環境問題の情報は、歪曲・捏造が甚だしい)

くれぐれも、目先の環境ボランティアや、環境プロパガンダに騙されないよう、気をつけましょうね m022

さて、次回は一歩進めて、近現代の「市場絶対論」の矛盾について考察していきます。
m022 乞うご期待 m022 m022 m022

コメント

自己中ってしょうがないよね

とか

人それぞれ

って言葉がありますが、

私有の起源や始原人類の共同体を追求していくと、
自己中は封鎖できる、「人それぞれ」なんてあり得ないということが見えてきます。

自己中ひとつをとっても、目先の現象に流されず、その根本構造を探ることの重要性を感じました。

  • しっぷう 2010年07月17日 19:37

私有という意識が共認されてしまっているから、それが明らかに間違っていると分かっていても誰も手が出せなくしまうんですね。

奪い合いを正当化した近代市場主義の問題点を露骨に表しているなと感じます。

逆に共有という意識が広がっていけば、みんなのものを自分勝手に扱おうという意識は無くなっていくのではないかとも感じました。

  • かつまた 2010年07月17日 19:40

>それは「個人が所有する」という価値観。つまり「所有したものは、所有者がそれをどうしようが所有者の自由である」という価値観自体である。

この価値観は、個人が原点であるという近代思想そのものですね。
人類は、そして生物も、種を存続させていくという摂理のもとに生きているのに、次世代のことを考えずに、今現在の自分の利益だけのために好き勝手なことをしてしまう(例えば環境破壊など)という異常さに早く気付き、気付いた人から発信して、圧力をかけていきたいと想いました。

  • miya☆ 2010年07月17日 19:42

現代人の所有欲というのは、モノがあふれる現状では確かに希薄なってきている傾向がみられます。
例えば、車が売れなくなっている理由に若者の資産が極端に少ないという側面もありますが、そもそも移動手段が充実している都心で車を持ちたいと思うのはごく一部の若者という情報をどこかで見ました。また物欲に対しても希薄で、より高額なモノを求める人の割合は数十年前と比べると、減少傾向があるようです。
また、モノでは無く「情報」では著作権という情報に対しての所有権(オレのもの権)がありますが、若い世代は違和感を覚えるまでもなく、ニコニコ動画等の動画サイト等では著作権のあるコンテンツを自由に加工して新しい作品を自由に作りだしている側面もあります。これもある意味所有権が希薄なことの表れであり、コンテンツはできれば共有の財産であって欲しいという、意思の現れと捉えることができます。

これからの社会の価値観の変化の兆しとして所有権や情報というものについて考えるのも面白いかもしれません。

  • さかまた 2010年07月17日 19:44

現代人の所有欲というのは、モノがあふれる現状では確かに希薄なってきている傾向がみられます。
例えば、車が売れなくなっている理由に若者の資産が極端に少ないという側面もありますが、そもそも移動手段が充実している都心で車を持ちたいと思うのはごく一部の若者という情報をどこかで見ました。また物欲に対しても希薄で、より高額なモノを求める人の割合は数十年前と比べると、減少傾向があるようです。
また、モノでは無く「情報」では著作権という情報に対しての所有権(オレのもの権)がありますが、若い世代は違和感を覚えるまでもなく、ニコニコ動画等の動画サイト等では著作権のあるコンテンツを自由に加工して新しい作品を自由に作りだしている側面もあります。これもある意味所有権が希薄なことの表れであり、コンテンツはできれば共有の財産であって欲しいという、意思の現れと捉えることができます。

これからの社会の価値観の変化の兆しとして所有権や情報というものについて考えるのも面白いかもしれません。

  • さかまた 2010年07月17日 19:45

「オレのもの」と所有することになると完全に個人の領域に入ってしまい、周りは何も言えない。仮に何か言ったとしても、「オレのものなんだから、何してもいいでしょ」が正当な?理由として通ってしまう。
その考え方は、とても狭い視点しか持ち得ないと思えるし、完全に周りとの繋がり、その先の社会との繋がりを完全に遮断してしまっているように思えます。
所有するのが個人の自由と訴える人に限って、所有する物の管理もできずに見捨てていくのでしょう。ものを所有するのが自由なら、見放すのも自由という、完全な個人主義≒楽チン主義に陥っていると感じます。

  • wacky 2010年07月17日 19:46

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