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2010年08月06日

シリーズ「市場は環境を守れない、社会を統合できない」9

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今回紹介する記事は、「グローバル化」がキーワードして登場します。
今では当たり前になってしまいグローバル化を口にする人は少なくなったように思います。数年前までは、「グローバル化」という言葉がもてはやされたように使用されていましたが、現在は、それが達成されたが故に口にしなくなったのではないでしょうか。
現在では当たり前になった、このグローバル化の構造には、市場と国家の関係が密接に絡んできます。その関係を明らかにすることで、現在の事象を読み解き、新しい可能性探索の一助になると思います。

いつも、ありがとうございます。
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るいネット:「市場と国家の共犯関係」より引用です。

経済のグローバル化ということが昨今よくいわれます。しかし、よく考えてみれば、そもそもグローバル化とは、国家を越えて貨幣やモノのが移動することであり、これを別の言い方をすれば、国家があるからこそ、グローバリズムが可能であるといえるのではないかと思います。

例えば、金融市場(外国為替市場、債券市場、株式市場)は急速に統合されつつあり、その意味では、明らかに資本の移動はグローバルなものとなっています。しかし、その移動をもたらす誘因は何かといえば、それぞれの場所における経済事情の違いであり、この場合、それぞれの場所とは基本的に国家です。最も高度に統合された外国為替市場においても、資金移動とは結局、各国通貨の「交換」にほかならず、その背後の国家の存在が前提となっています。

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つまり、金融グローバリズムによって生み出される「交換利益」(これも本質的には幻想共認によってつくりだされた価格格差によるもの。※参考超国家・超市場論9)は、実際は、まさに異質な国家が存在するという国家システムのゆえに可能となっていると言えるはずです。

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「市場の論理」と「国家の論理」とは、こんにち、しばしば対立的な様相を見せますが、もっと根本的なところで、「市場」と「国家」はもともと共犯関係にある、もしくは「市場」は「国家」に寄生する存在である、ということが言えるのではないかと思います。

>私権闘争の抜け道が、交換取引の場=市場である(超国家・超市場論9

幻想価値の共認に基づく交換取引の場=「市場」が、「国家」による武力闘争(およびその帰結たる身分制度による私権拡大の封鎖)からの「抜け道」として登場した後、今日に至るまでずっと、「市場」と「国家」の両者は、相互不可分の共犯関係にあるとも言えるのではないでしょうか。

新しいまつり場は、国家と市場を超えられるか?超国家・超市場論1

『超国家・超市場論1』における最初の問いの意味が、今ようやく分かってきた気がしています。


グローバル化と聞くと国境に関係なく貨幣、モノが移動できるので、地球規模で一体化が進むことになると考えていました。しかし一体化と言っても、モノの移動が国を跨ぐ事で表層部分でのみ一体化しているだけで、実際にそれを可能にしているのは国の違い(経済事情の差)があるから、という内容は気付きでした。
ここで、市場と国家の関係に着目すると、一見別モノのようで、その起源を遡れば実は共犯関係にある。この構造は現代においても当てはまります。現在、世界各国が環境問題を社会問題の対象としています。ここでの対策としてに挙がっているのはCO2排出規制です。国の政策に対して市場は、それに見合う商品やキャンペーンを打ち出す事で応えています。結果的に環境対策の分野は市場を斡旋しています。
過去においては有効であった、儲けを媒介とした市場と国の関係ですが、現在においても同様の構造にしがみ付いて無理やり共犯関係を作り出すことに違和感を覚えます。市場or国家のシステムを踏襲するのではなく、双方を超えた可能性の探索の必要性を感じました。

次回は、何故市場に可能性がないのか?明らかにしていきたいと思います。

コメント

最近、CO2温暖化説が説得力を失いかけて来たからか、今度は「生物多様性保護」を中心とした商取引の道を拡大しようとし始めていますよね。

どこまで行っても国家と市場は共犯関係、という構造は納得ですが、私権闘争が無意味化すれば、いずれはその抜け道としての市場も無用化して行く予感がします。

>何故市場に可能性がないのか?
の追求も楽しみにしています!

  • KT 2010年08月07日 19:39

エコやCO2排出など、本当に必要かどうか分からないものを商売にする市場と、それに便乗している国家(官僚)の共犯関係を認識することが大切だと思いました。

  • ヨモギ 2010年08月07日 19:41

グローバリズムと聞けば世界が纏まっていくようなイメージを感じるのに、何故反感を覚える人が多いのだろう?と疑問に思っていたのですが、それが国家の経済状況の差異による「横流しで金を生み出しているだけ」だったからだと分かった事が気付きでした。

結局、グローバリズムがお金でお金を生み出す経済を作り出した元凶だったんですね。

  • かつまた 2010年08月07日 19:41

>無理やり共犯関係を作り出すことに違和感を覚えます。

国民目線では「無理やり」に見えるけど、金貸しや、その手先である官僚等の特権階級にとっては、いかに共犯関係を構築し、また強固な関係を維持するか、に執着していると思います。

金融危機以降、その構図も崩れかかっているので、今後のその構図の動向に注目です。


  • saken 2010年08月07日 19:45

>市場or国家のシステムを踏襲するのではなく、双方を超えた可能性の探索の必要性を感じました。

同感です。
改めて新しい可能性、システムをみんなで考えていきたいですね☆

  • miya☆ 2010年08月07日 19:46

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